光があるのは影のおかげ。逆もまた然り

 

 

昨日の夕方ごろね、

スーパーでも行こかと思って

おうちの玄関のドアをあけたらね、

 

 

 

家の壁のところにね、

 

 

 

めっちゃくちゃデカい

カマキリ!!!

 

 

 

 

 

 

「ああwsdfghjk」ふじこぉおおお!!!!」

 

 

 

もうね、おもわず

ビックリしちゃってね

 

 

 

 

とっさに

謎の言語を

叫んでしまったよ・・・

 

 

 

 

 

どーも、アタシです。

 

 

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光と影

 

 

凄いヤツが凄いヤツでいられるのは、

多くのすごくないヤツがいるおかげ。

 

 

すごくないヤツでもスゴイ豊かさを受けられるのは、

凄いヤツが頑張ってるおかげ。

 

 

 

何もしなくても豊かさを受け取れるのは、

何かしたくて何かを生みだしている人のおかげ。

 

 

何かしたくて仕方がない人は、

何もしない人たちが何かする人たちの成果を受け取ってくれるおかげ

 

 

 

得たい人は、与えたいから競争する。

与えられたい人は、与えられたいから何もせず競争しないのだ。

 

 

 

お腹がすくから食べらえるのだ

お腹が一杯だから食べなくなるのだ

 

 

 

たくさん動いたら、

休みたくなるのだ

 

 

 

休むからまた、

たくさん動けるのだ

 

 

 

温度が低いから上がれるのだ

温度が高いから下がれるのだ

 

 

 

高いから落ちるのだ

低いから上がれるのだ

 

 

 

登りきったら後は落ちるのだ

どん底なら上がるだけなのだ

 

 

 

 

2つはどちらも片方では存在しえない。

どちらも切り離せない。

そーゆー関係。

 

 

 

そしてその2つを包み込む

大きな1つの器がある。

 

 

その器の中では、

すべてはリズムがあり、流動的な世界なのだ。

 

 

 

永遠の楽園(理想郷)はこの世には、存在しないかもしれないけれど、

 

 

 

理想の状態(均衡の美)は、

綱渡りのように、その2つの境目のところに存在する。

それらは、流れる川の水の泡のように、

絶えず生まれては消え、それを繰り返し、

動的に存在し続ける

 

 

 

 

良きも悪きも

すべてが全部、

大きな器の中で流れている

 

 

 

 

その動的な流れの世界の中で、

自分が心地よいところ、

自分にとって良いもの、

それだけにフォーカスする

 

 

 

それが流れの中でバランスを取り続けること

 

 

 

そうつまり、

僕らは結局、死ぬまで一生、

踊り続けるしかないのだ

 

 

 

 

バランスを崩すと、

予期せぬもの、

欲しくないもの、

あらゆるものが入ってくる

 

 

 

ダークサイドは嫌だなぁ

だから見ないようにする

フォーカスしない

 

 

 

だけれども、

ダークサイドを否定すると、

ダークサイドが大きくなるのだ

逆なのだ。

 

 

 

でもね、光も闇も

2つで1つ。

どっちもあっていい。

ありのままでいい。

 

 

 

だから、自分は、

否定せず、ありのまま(1)

見つめ続ける。

 

 

 

また同時に、ありのまま(2)を通して、

自分の感情が心地よいものだけを選ぶ。

不快を感じたら、離れる。

嫌なものからは離れよう。

 

 

 

*ありのまま(1)は自然

*ありのまま(2)は自分

詳しくはこっち

 

 

 

 

そのうえで、

光の方を見ていこうと思う。

 

 

 

そんじゃ。