ねえねえ、やっぱり人間ってすごいね!
だって「何かを信じる」
という特殊な魔法を使えるのだから。
何かを信じられるなんて、
なんてステキなことなんだ!
だって信じる力が使えると、
エネルギーが生まれるんだ。
そして、そこには、
「エネルギー」が集中していくんだ。
それに、信じられるから、
安心するんだ。
信じられるものがあるから、
前に進むことができるんだ。
信じられるから
どんなに絶望の状況でも、
生き抜いていくことができるんだ。
それが「信じる力」
のすごい魔法なのだね
だけれどもね
それと同じくらいに、
すっごい力もあるよ!
それはね
「ありのままを見る力」
それは自然を見る力。
ありのままを受け入れる力。
自分で見て触って感じて、経験して、体験して、自分でありのままを知ろうとする行為。
それは「信じる」とは対照的なのだ。
ありのままを見るとき、信じる対象は崩壊し、
信じるとき、ありのままは歪められていく
権威の力
古今東西、世界全土、津々浦々、
人々は「権威の力」を絶対視しやすい、
という傾向を持つ。
「あの人がこう言ったから」
「あの偉い人がそう教えたから」
「あのスゴイお方がそうだから」
これらの言葉にすがるとき、
あなたは「信じる力」を手に入れる。
信じる対象とは、まるで
自分の道の先を照らしてくれる
「希望」のような存在。
それがあるから、
がんばれる、希望が持てる、生きていける。
ものすごいエネルギーを得る。
そしてそれを1点に集中させて、
信じる道を突き進んでいける。
がしかし、
権威に飲まれるとき、
同時に「ありのままの力」を失う。
ありのままとは、
自然そのもののこと。
宇宙そのもののこと。
真実であるということ。
何かを信じるとき、
「ありのままに世界を見る」
ということは同時にできなくなる。
「誰かが言っている」
にすがるとき、
「自然が見せるありのまま」
が見えなくなる。
すると自然の力を失う。
偉いネコ殿様
「太陽ってさあ・・・」
偉いネコ殿様
「青いよねぇ。」
偉いネコ殿様
「あれってなんであんなに青いんだろうねぇ。」
家来のひよこ
「は、はい・・・」
「おっしゃる通りです、おとのさま・・・」
家来のひよこ
「太陽とは・・・青いものでございます・・・」
(え、太陽って赤いんじゃないの・・・?)
(うちの殿様、大丈夫かなぁ・・・)
強く信じるとき、強いエネルギーを手に入れ、
信じる世界以外は、見えなくなる(どうでもよくなる)
第三の道
もちろん、信じることは素晴らしいし、
すごいエネルギーを持てるし、
希望も持てる。
だから、それ自体は何も
悪いことじゃない。
でも「自然を見る」「ありのままを見る」
も「信じる」と同じくらい大切なことだよね。
信じる=力(エネルギー)なら、
ありのまま=揺るがないもの(正確な真実)である
もし、信じる対象が、
ありのまま(自然の摂理)と重なっているとき、
それはあらゆるものごとの道理に叶っている
信じる世界と
ありのままの世界
それは、この2つがブレることなく、
重なっているときなのだ。
ここに第三の道がある。
そしてこの道は、永遠じゃない。
時間がたつ、やがて薄れて消えていく。
そして、そのときまた、別の場所(ところ)に
信じる対象とありのままの2つが重なる現象が生まれる。
そう、流れる川に、絶えず生まれて消えていく、
水の泡のように。
もしね、信じる世界だけだと、
その世界は、100%完璧ではないかもしれないし、
時間が経つと「自然の道理」と乖離していく。
(時代に合わなくなったり、タイミングに合わなくなったりする)
そしてまた、
「ありのままだけの世界」だと、
それはまるで「動物のような世界」だ。
意志を持たず、何も考えず、
ただ、自然に生かされ続ける「自然の中の部品の一部」
のような状態だ。
どちらが良い、どちらが悪い、
というものでもない。
今自分がどこにいるか
それは大切なこと。
それを知るだけのこと。
信じる力も、
ありのままを見る力も、
どちらも大切なのだから。