ときどき、ふと想像をすることがある
もし、何かの拍子で、今やってる
「自分の好きなこと」が、ある日突然、
出来なくなってしまったとしたら。
たとえば、病気になるとか、
ケガをするとか、
あるいは、まったく気が変わって、
好きなことをぜんぜんやりたくなくなったとしたら。
もし、万が一そんなことが起きたとしたら、
僕の第2の人生はどんな風になるのだろう、
そうい風に考えることが、
年に1,2回ある。
そんな時は、リアルに
「その後の人生」について
想像してみたくなるのだ。
もし今の自分が音楽をしなくなったとしたら
次は何をやってるだろう・・・?
すると、たくさん出てくる。
いろいろなシーンが出てくる。
僕は多趣味だし、いろいろなことに
興味を持っちゃう
「世界に惚れやすいタイプ」なので、
アレコレ、次から次へと挑戦したくなるのだと思う。
とは言っても、やはりリアルに
「好きなことできなくなった人生」
ってやつを想像してみるとね、
最初はやっぱり絶望する。
何度か試したことがあるけども、
「もし音楽ができなくなったら」
っていうのを想像しただけで、
もう死にそうな気分になる。
「こんなにも楽しい一生できる遊び」
ってやつを見つけられたこと自体、奇跡だし、幸運なのに、
もしそれができなくなったとしたら、
と想像してみたら、最初はやっぱり絶望的な気分になる。
そういう風に想像してみると、
「ああ、自分はそれくらい、音楽が好きなんだなぁ」
って改めて自分のことが大好きになる。
でももし、今やってる好きなことが
完全にできなくなってしまったとしたら、、、
と一応は、その後の未来も想像するのだ
すると、最初は絶望するのだけども、
やがてアレコレ、
「あ、あれもしたい!」「こもやりたい!」
っていうのがどんどん出てくるw
もし僕が音楽をやらなかったとしたら、
僕は山を登ると思う。
絵を描くと思う。
あるいは、船に乗って世界をぐるぐる回りたいと思う。
あるいは、がっつりとビジネスの世界にはまり込むと思う。
そんな感じで、
まだまだやりたいことは
どんどん出てくる。
10代の頃、よく友だちと山に登って、
キャンプしたりアウトドア的な事して遊んでた。
めっちゃ夢中になってた。
(これは後で知ったことだけども、運命論的に見てもやはり、僕のデフォルトが「山を登る」人のようらしいw)
あと絵はもっともっと小さいころから描いてた。
好きで描いてた。
音楽をやるずっと前、小さいころからお絵かきしてた。
あと、物心ついたころから、
外国にすっごい興味を持つようになり、
外国の文化を本や映画などから取り入れてて、
特に海とかに興味があったので、その頃から実は
「外側に広がっていきたい」的な意識はあった。
そんで、もし音楽をやらなかったとしたら、
ビジネスの世界にハマっていると思う。
お金儲けに意識が向いている訳じゃなくて、
世の中の仕組みを考え、作り、それを実際に携わって、いじくる、
という行為そのものが、すごい好きなのだ。
(つまり、子どもの頃熱中した、パズルやゲームや積み木遊びの延長だと思ってる)
でも、僕はやっぱり音楽が一番好きなの。
ピアノも好き。作曲も好き。
山登りで指をケガしたくないから、
危険なことをしないようになった。
車もだんだん、運転できなくなり、
下手っぴになってしまった・・・
海外への憧れはまだまだあるし、
実際に今年の3月には行こうと準備していた。
その数日後、コロナショックで行けなくなった。
でも、今はもう、音楽が目的のためにそれをしたい。
世界中のまだまだ知らない音楽の世界を見て回りたいし、
実際にその中に入っていきたい。
それから、大好きな音楽を極めるということは、
ビジネスなどに現を抜かす時間はないということさ。
そーゆーのは、そのうち、それが得意な人が現れる。
今に感謝
僕はときどき、
「今やってる好きなことができなくなった世界」
というのを想像するときがある。
それは別に意図してやってるわけじゃなくて、
ときどき、ふと、なぜか、
そんな考えが頭に浮かんでしまう時があるのだ
そんなときは、
今やってる好きなことができなくなった後の世界
について思いを馳せてしまうことがある。
でもやがて、そのあと、
強烈に感謝の気持ちが沸いてくる。
ああ、まだ生きてる!
今日もまだ平和が続いてる!
まだ息してる!
まだ健康だ!
まだ体も動く!
好きなことできる、
という人生が
どれほど奇跡なのだろう!
そういう風に思えるようになり、
すると強烈に
何かに対して、
神様とかに対して、
自分自身に対して、
感謝の念が沸いてい来る。
今この瞬間は二度と戻らない。
だからこそ、今日一日、一日を、
味わうように生きたい。
今日はおうちで静かに
読書をするのだ。
読みたい本がたくさんあるの