波瀾万丈な人生【デヴィ夫人】若い頃が凄すぎる!現役を今も続ける理由は?

日本のバラエティ番組などで活躍しているデヴィ夫人。実は波乱万丈な人生を送ってこられた方なんですよ!

今回はデヴィ夫人の半生を紹介します。

デヴィ夫人のプロフィール

  • 名前:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ
  • 生年月日:1940年2月6日
  • 年齢:83歳(2023年10月現在)
  • 出生地:東京都東京市麻布区霞町(現・東京都港区西麻布)

実は日本生まれのデヴィ夫人。父は兵七郎さんで母は政子さん、なんとどちらも日本人です!名前と容姿の雰囲気と、その他さまざまな情報から外国の方、少なくともハーフなのかと思っていたのですが、これは意外です。ちなみに旧名、日本名は根本七保子さん。年齢は現在83歳、これも今の若々しさとは結びつきませんね。ちなみにスカイピース 年齢はどちらも2023年の誕生日で28歳です。

デヴィ夫人の経歴

高級クラブに勤務

裕福ではない家庭に生まれたデヴィ夫人 若い頃は生活に余裕も無く、無名エキストラ女優やアルバイトを掛け持ちするなどして生活していました。1956年に父が亡くなると高校を中退、赤坂の有名クラブ「コパカバーナ」に勤務しましたよ。地元の高陵中学校卒業後に東京都立三田高等学校定時制課程に進学、同時に150倍の難関を突破し千代田生命保険に入社したという情報もありましたが、この辺りは時系列がはっきりとしませんでした。

スカルノ大統領の夫人に

1959年、19歳の時に、インドネシアへの開発援助の際の東日貿易の秘書という名目で、インドネシア建国の父、スカルノ初代大統領の元に送り込まれました。1962年、デヴィ夫人はスカルノ大統領と正式に結婚、4人の夫人のうちの第3夫人となりましたが、同時期実家にはマスコミが執拗な取材を行い、体調を崩したデヴィ夫人のお母さんがこの世を去り、更に実弟がそれを苦にしたのか自殺。これらの出来事はデヴィ夫人にとってのトラウマとなりました。

インドネシアでクーデター勃発

1965年9月30日、インドネシアで軍事クーデターが発生(9月30日事件)し、スカルノ大統領が失脚、デヴィ夫人はインドネシアの日本大使館に亡命を希望するも、国際的立場上の理由で断念し、政治的に亡命者に寛容なフランスへ亡命します。1967年にスカルノ大統領の8番目の子どもとなる自身の第一子、カリナを出産しその後は日本の俳優、津川雅彦さんなど複数の男性との仲が噂されましたよ。スカルノ元大統領が存命のうちから、数度にわたって婚約発表が取りざたされたりもしたそうですが、結局デヴィ夫人は再婚しませんでした。

傷害罪で逮捕

1970年代から日本で芸能活動を開始、世界的セレブの一人として活躍しました。「社交界の華」とも呼ばれたその容姿で多くの要人などと関係を持ちましたよ。1980年にはインドネシアへ戻って石油関連事業を興したという情報がありましたが、一方で当時のデヴィ夫人はスカルノ体制崩壊により外交的立場を失っていたという情報も。1992年にはフィリピン大統領の孫娘から侮辱されたと思い激怒、シャンパングラスで相手を殴打し傷害罪で34日間刑務所に収監されたりもしました。

デヴィ夫人はなぜ活躍を続けるのか

近年は「世界の果てまでイッテQ!」などの番組で身体を張る姿がよく見られるデヴィ夫人。どうしてデヴィ夫人はそういった活動を今も続けているのでしょうか。今もなお若々しい姿を保ち続けるデヴィ夫人ですが、彼女が活躍を続ける理由こそが若さの秘訣にもつながっているようです。「いろいろな事に挑戦する意欲を失わないでいたい」「挑戦する気持ちを無くした時が年を取ったということ」といった言葉がデヴィ夫人の口癖なのだそう。だからこそ、デヴィ夫人は現役を今も続けているのですね。

デヴィ夫人81歳はなぜこんなに若いのか…最新技術で体を徹底調査 | マイナビニュース (mynavi.jp)

最後に

今回はデヴィ夫人の半生などについて紹介しました。

亡命や逮捕など、波乱万丈な半生を送って来たデヴィ夫人、ですが「どうしてインドネシアに行ってスカルノ大統領の愛人、第三夫人となったのか」については謎が残りますよね。当時はまだ若かったデヴィ夫人、不安も多くあったことでしょうが、逞しく生きて来られたのですね。