自然体で身を任せていると次第に見えてくる自分の型

 

 

さいきん、なんかキッチンが汚かったり、

へんな虫が入ってくる箇所を見つけたりして、

プチDIYとかしたり、あと片付けをしたり、

それから何か税金的なものを払ったり、

 

 

 

気が付いたらアレコレ時間が経って、

なんだか好きなことやる時間がないなぁ~

ってちょっと萎え気味の自分がおります。

 

 

 

 

常日頃から「良いなぁ!ステキだなぁ!」って思っているのは、

どんな状況でもその中から「楽」を見つけ出して、

楽しい気分を持続させていくことなんだけども、

 

 

 

 

どうしても「その場、その時の状況と

自分の感情を結び付けてしまう癖」というのが

まだ抜けきれなくて、

 

 

 

「やりたくない作業」と「辛い」とか

「めんどくさいこと」と「気分が落ちる」とか、

勝手にリンクしちゃう自分がおりますです。

 

 

 

「直したいなぁ」とは思いつつも、

「あ、またやっちゃった!ダメだなぁ!」と

自分を責めることは決してせず、

 

 

 

「うんうん、やりたくないよね。わかるぅわかるぅ~」

とアホっぽく呟くようにしております。

ジェダイの教えを常に守りつつも、

変化にはなかなか時間がかかるモノだったりしますです。

 

 

 

 

自然体でいるとだんだん自分の型が見えてくる

 

 

 

そんで今日は昨日の記事の続き。

 

 

 

もし自分が、外の何かと比べて、

外の誰かと比べて、

 

 

 

自分以外の何者かになりたいと、

願うのであれば、

外の幻想の目標を突き進むのであれば、

 

 

 

自分は「なんだかよくわからん者」に

なってしまうのです。

 

 

 

でももし、自分が

内側から出てくる好奇心に従って、

楽しく過ごしていけば、

 

 

 

その延長線上に、

自分の本来の型が

見えてきたりしますです。

 

 

 

 

たとえば、昨日の記事では、

ものごとを瞬時にさばいていく人と、

ものごとを熟考し形あるモノに仕上げていく人。

 

 

 

 

 

ものごとを広めるのが得意なひとと、

ものごとを深く探求することが得意な人

 

 

 

ものごとを小さくミクロに感じる人と、

ものごとを俯瞰して全体から眺める人

 

 

 

ものごとを自分を中心として眺める人と、

ものごとを構造の枠の中にあるものとしてとらえる人

 

 

 

 

そんで、どれが優れているとか

どれが正しいとか、

どれが一番とかはないけれども、

 

 

 

 

一人の人は今この瞬間、

1つのことにしか

意識が向けられない。

 

 

 

これがこの世界を生きる上での

性質であるのであれば、

僕らは何かしら、どれかの性質に偏る。

そうせざるを得ない。

 

 

 

そして自分以外の誰かがいるから、

その人が自分以外の性質を持って、

みんながそれぞれお互いに、

補完し合って、助け合って、

イイ感じに世界が動いていく。

 

 

 

 

そんでこの「型」の部分は、

あなたの生まれ持った運命。

 

 

 

 

「運命」という言葉が怪しい感じがするのであれば、

「遺伝子の構造」とか置き換えてもいいかもしれないし、

「太古より引き継がれている記憶」としてもいいかもしれない。

 

 

 

いづれにせよ、この「型」

の部分は「運命」である以上、

変えることはできない。

 

 

 

変えられない部分

 

 

 

 

悪く言うとコンプレックスとか短所。

良く見えれば、それがあなたの持って生まれた特徴、強み。

 

 

 

 

 

自然体が大事

 

 

 

そんでね、やっぱり「自然体でいる」

からこそ、この特徴を知る、

見つけるに繋がっていく。

 

 

 

 

だって「生まれ持ったもの」

というのは、無意識で出来ちゃう部分、

無意識で出ちゃう部分。

 

 

 

 

がんばらなくても、

考えなくても、

気を遣わなくても、

 

 

 

勝手に出てしまう部分

 

 

 

 

でもでも、もし、

自分自身でいることを忘れ、

誰かになろうとしたり、

気を張ったり、

頑張ったり、

感情的になったり、

 

 

 

 

「自然体」が失われ、

「本来の自分」のことも

「本来の自分が持つ型」も忘れ、

 

 

 

 

自分自身が、

「なんだかよくわからん者」

になっちゃう。

 

 

 

 

 

だからね、

嫌な出来事もツマラン出来事も、

楽しい出来事も、嬉しい出来事も、

何でものない出来事も、

 

 

 

 

「あらゆる現象を通して、

そこから本来の自分自身を見つめる」

そして「自然体に立ち帰る」

ということの大切さをとても

気づかされるのです。

 

 

 

 

あなたはどんな型をもってる?

 

 

 

 

型といっても、

きっとたくさんある。

いろいろな種類があるし、

1つだけじゃなくて、

一人の人間の中に、

沢山の型がある。

 

 

 

 

だってそれはもう、

あなただけのものじゃないから。

 

 

 

あなたを通して、

この地球上の生命の歴史の

長い長い歴史を通して、

積み上げてきた膨大な記憶。

 

 

 

 

そこに「ある種の傾向」

があるとすれば、それはなんなのだろうね?

不思議な世界だね

 

 

 

それは遺伝子なのかな?

それともウイルスなのかな?

それとも人間の体内に潜む無数の細菌たちの記憶なのかな?

それとも受け継がれた伝統や文化なのかな?

それとも代々、ご先祖様から引き継いだものなのだろうか?

 

 

 

はたまた太古の人類が魚だったころの記憶?

 

 

 

 

あるいは、イデアが見せる幻影なのだろうか。

あるいは、星たちの記憶なのだろうか。

それとも神様が与えたギフトなのだろうか。

 

 

 

 

あなたがあなたの持つ型を知り、

それを受け入れたとき、

それはものすごい恩恵となる。

 

 

 

 

その通りに生きれば、行きやすいよね。

持って生まれたものは、

否定するより使った方がお得じゃんね

 

 

 

 

そんな感じで、ワタシ、

まだまだ、日々の日常から、

自然体でいられる部分を意識しながら、

自分が持つたくさんの型を探っております。

 

 

 

そんじゃ