やらなくちゃを捨て「好き」を選び続ける勇気

 

 

 

今日の朝、新たなる自分の思考パターンを

また1つ発見してしまった。

 

 

 

朝は食べるときと食べないときがあるのだけども、

今日はなんか食べたい気分だったので、

食パンを焼いて食べました。

 

 

 

 

ちなみに、あなたは、朝はパンですか?

ごはんですか?

ナンですか?

それとも何も食べませんか?

気分次第ですか?

 

 

 

 

 

そんで、食パンが焼けた後、

チョコレートソースを塗りました。

 

 

 

ちなみにあなたは、

食パンの上に何を塗りますか?

 

 

 

チョコレート?

イチゴジャム?

ブルーベリージャム?

マーマレード?

クリームチーズ?

ニベア?

 

 

 

 

そんで、それをスプーンで切りました。

(え?と思った方。実はフォークよりスプーンの方が、

力入れずに切れるんです。かといって、食パン1枚に、

わざわざナイフとか使いたくないんです。洗い物が増えるから。)

 

 

 

 

そしたら、そのとき気づいた。

 

 

 

「あ、なんか自分、

いつも食パンの耳から

食ってるじゃん・・・。」

 

 

 

 

やわらかくて切りやすくて

食べやすくて、

しかもチョコレートが乗っている

美味しい部分(白い部分)は

置いておいて、

 

 

 

それよりも先に、

硬くて、かじるとパンの焼いた粉(破片が)

が周囲に飛びやすくて、汚れやすくて、

そんな問題児なパンの耳

コイツから、処理をしようとしていました。

 

 

 

「処理をする」っていう表現がもう既に、

「食べることを楽しむ」という境地にいないな、

と気が付きました。

 

 

 

 

しかも、

なんでスプーンを使っているかと言うと、

楽だし、あと、フォークで切ると、

パンの破片が砕けて、皿から飛び出して、

テーブルがパンくずで散らかって、

それをあとで拭くのがめんどくさい。

 

 

 

 

「食パンを食べる」という行為には、

これまでの歴史と、

その流れの中で生まれた改善と

工夫があり、そーユー理由で

スプーンを使っております。

(箸で食パンを食うヤツはプロ)

 

 

 

がしかし、

ここに思考パターンの癖がありました。

 

 

 

目の前の楽(楽しい)を選ばず、

嫌なことを最初に意識する

 

 

*目の前にあるチョコの部分を食べる前に、

パンの耳を処理したり、そのあとお皿が散らからないよう

きれいに食べよう、という方に意識が向いている。

 

 

 

 

きっと、無邪気な子どもだったら、

そのまま手づかみのまま、

ガブリとパンをかじり、

そのあと、白くて柔らかくて、

チョコレートが塗ってある甘い部分を中心的に

そのままかじりつくし、

 

 

 

そして、お腹が空いていれば、

そのままパンの耳も食べるし、

飽きてしまったら、そのまま

耳は残すかもしれない。

 

 

 

 

そーいえば、

アメリカに住んでいた頃、

よくみんなでピザを食べていました。

 

 

あのとき、プチカルチャーショックだったのは、

アメリカ人って、ピザの耳を残すのね。

(食べる人もいる)

 

 

 

 

サラミとチーズがのった

生地の柔らかい部分だけ食べて、

ピザの耳の部分は、手が汚れないように持つ

「取っ手の役割」ぐらいにしか思っていないんでしょうか。

 

 

 

 

「食べ物を粗末にしてはいけない」

という日本人の考えがあった自分には、

それはカルチャーショックでした。

 

 

 

*ちなみに、海外に行くと気づくんですけど、

「食べ物を粗末にしてはいけない」というのは、

日本人の逆鱗ポイントだなぁ、って気づきました。

「食べ物を粗末にする」ということが、

日本人にとってどれだけタブーなことなのか、

ということが海外に行くと良くわかります。

 

 

 

 

 

話はそれましたが、

「好き」に忠実なアメリカ人は、

「うま味」な部分だけ食ったら、

後は捨ててました。

 

 

 

食べ物を粗末にするのは悪いとか良いとか、

そういう話はとりあえず置いておいて、

 

 

 

 

とにかく「好き」の方に

自分は普段から意識が向いているだろうか。

 

 

 

 

 

そんで、食パンを食べてるとき、

自分は「好き」じゃなくて、

「リスク」の方ばかりに目が向いていた。

 

*リスクと言うのは、

食べカスがこぼれて、皿とかテーブルを

掃除しなければいけない手間がかかることなど。

 

 

 

食べるという「楽しさ」じゃなくて

「楽しいの後に起こりそうな問題」

の方にいつも意識してました。

今この瞬間じゃなくて、未来の方を考えていた。

(しかもリスクに目が向いている)

 

 

 

 

ちょっと先の未来が見えてしまう。

そこに対するリスクヘッジをあらかじめ、

打って、安心感を得てから、

好きを選ぶ。

 

 

そうやってついつい、打算してしまう。

 

 

 

 

う~ん、深いのぅ。

とても良い気づき♪

 

 

 

 

「好き」「楽しい」

を先に選ぶ勇気。

 

 

 

これをもっと意識してやっていこうっと。

 

 

 

そんじゃ。