男たちが眠り女たちが目ざめるとき

 

 

 

 

時代はかわる

大きく切り替わる

 

 

 

昼から夜へ

水中から陸地へ

男から女へ

 

 

 

 

あらゆるすべてが、

徐々に徐々に、

切り替わっていく

 

 

 

神さまが定められた、

誰も抗うことができない、

時の運命

 

 

 

これから先はもう、

今までとお同じ方法は通用しないし、

同じ考え方では苦しくなる。

 

 

 

 

大きいものは小さくなり、

小さいものは大きくなり、

 

 

 

盤石なものはあやうくなり、

弱すぎるものはかえって盤石になり、

 

 

 

強き者は打ち砕かれ、

弱きものは守られる

 

 

 

今まで「正しいとされていたもの」は「間違ったもの」となり、

今まで「間違い」とされていたものは「正しい」となり、

 

 

 

 

時代はかわる。

大きく変わる。

 

 

 

 

これから大きく変わる

新しい時代に入るときで、

今までの古い頭のままでは、先へは行かれない。

 

 

 

 

もう競争しなくていいんだよ。

もうリーダーになろうとしなくていいんだよ

主導権を握ろうとしなくて大丈夫だよ

トップになろうとしなくていいよ

もっと得ないとと不安がらなくていいよ

もう稼ごうとしなくていいよ

もう成長しないといけないと焦らなくていいよ

もう改善しようと努力しなくていいよ

 

 

 

 

豊かさも正しさも幸福も人間関係もお金も価値も生き方も

 

 

 

 

ありとあらゆる今までの「定義」

が崩れ、新しい解釈へ「再構築」されていく

 

 

 

 

といっても、

全員が変われるわけではない・

のかもしれない。

 

 

 

 

でも、もし変われなければ、

その先には、今以上に、

更なる苦しみがまってる

 

 

 

 

これから、競争はさらに激化していく。

もはやハンデが付きすぎてしまって、

ゲームバランスが崩れている。

 

 

 

それを知らずに競争をしたところで、

その先に待っているのは、

更に強いものによって打ち砕かれていく

終わりなきスパイラル

 

 

 

でも、結局最後には、

その最も強いものが、

最も弱い者たちによって、

動かされることになる。

 

 

 

 

それでも成仏できない心

 

 

 

もしこの宇宙がまるで

時計仕掛けの機械のように動くのであれば、

予め「だいたいのシナリオ」は

決まってしまう。

 

 

 

ゴールが見えているのにも関わらず、

それでも動いてしまうその心。

 

 

 

それは成仏できない心。

自発的に動いているようで、実はそうではない。

それはまるで心を失ったオートマトン(自動人形)のように

「動かずにはいられない」

(それはふと油断すると、自覚できないほどの、苦しさ)

 

 

 

 

それはまるで

心のゾンビ状態。

 

 

 

 

 

成仏できないその心は、

時計仕掛けの宇宙が創る

シナリオに向かって突き進む。

 

 

 

 

まるで映画「マトリックス」のよう。

これも人間性のうちの1つなのだろうか。

 

 

 

 

今までの「正しい」はこれからの「邪魔もの」

 

 

 

正しくなろうとしなくていいよ、

偉くなろうとしなくていいよ、

がんばらなくていいよ、

成長しなくていいよ、

上を目指さなくていいよ、

獲得しようとしなくていいよ、

勝とうとしなくていいよ、

トップに立とうとしなくていいよ、

意識を高めなくていいよ、

 

 

 

 

というか、お願いだから、

「しないでください」

(かえって、邪魔になるのですw)

 

 

 

 

 

と、地球さんが、

泣いて困っているように、

僕には見えて仕方がない。

 

 

 

 

 

定年退職したお父さん

「いや~毎日が、ツマラナイのぅ」

「満員電車は地獄だったけども、

こんなに何もしなくていい毎日は、

それはそれで地獄だのぅ」

 

 

 

お母さん

「お父さん。あなたは今までよく頑張りましたよ」

「仕事でバリバリ活躍して、世間様も認めて下さったじゃないの」

「ワタシャ、もう十分幸せですよ。」

「どうぞ、ゆっくりしててくださいな」

 

 

 

定年退職したお父さん

「おぉ?そうか?そうだよな、

俺も今までよくがんばってきたものだ。

ハッ、ハッ、ハッ」

 

 

 

お母さん

「ワタシャ、夕飯をつくりますね」

「お父さんはゆっくりしててください」

 

 

 

 

定年退職したお父さん

「あ~暇だ!苦痛だ!」

「あ、そうだ!」

「仕事でもバリバリ人前に立って、

がんばってきたのだから、家でも

母さんの手伝いで良いところを見せてやろうじゃないか!」

 

 

 

 

定年退職したお父さん

「母さんや!」

「どれ、ワシに1つ、食材を

切らせてみてくれ!」

「ワシがやってあげるから、

母さんは、スープでも作っていなさい」

 

 

 

母さん

「え?あぁ・・・そうですか・・・」

「わかりました、それじゃぁ、ワタシャ、

スープでも作りましょうかね」

 

 

 

定年退職したお父さん

「どれどれ、こうやって、包丁を持って、

ジャガイモを・・・あ、あ、あああ」

 

 

 

定年退職したお父さん

「あああああああああああああ」

 

 

 

母さん

「ど、どうしたんですか!?」

 

 

 

定年退職したお父さん

「指を切ったああああ!血出たあああ!」

(皿こぼれる、ジャガイモ散らかる、台所めちゃくちゃ)

 

 

 

母さん

「だ~か~ら~、お父さんは何もせず、

ゆっくりしてくださいって言ったのに・・・!」

 

 

 

 

 

波が反転するとき

 

 

上がっていた波が反転するとき、

今度は逆に下がりだす

 

 

下がっていた波が反転するとき、

今度は逆に上がりだす

 

 

 

今まで「正しい」と

人間たちによって意味付けされていた

あらゆる「定義」は、

 

 

 

時代の波が反転するとき、

「間違い」とされ、

それに代わる新しい何かが

「再定義」されていく

 

 

 

男は眠り、女は目ざめる

 

 

 

あのね「男」とか「女」

という風に2つに分断して、

分けて差別的に取り扱いたいわけでは、

決してないの。

 

 

 

そういう訳ではないのだけれども、

あくまで例え話として、

 

 

 

地球さん的に見ると、

神さま的な視点でみると、

 

 

 

「男的なもの」はもう、眠りにつくときなの。

そして「女性的なもの」が目ざめるときなの。

それくらいのなかなか起こらない規模の変化の時代のときなの

 

 

 

 

「競争」から「分かち合い」へ。

「正しさ」から「楽しさ」へ。

「一極集中」から「分散」へ

「不平等」から「平等」へ

「硬さ(真面目、正確さ)」から「丸み(ほどほど・フレキシブル)」へ

「中央集権」から「非中央集権」へ

「リーダー」から「(一時的な)役割」へ

「成長」から「幸福」へ

 

 

 

 

今までの男的な考え方で、

世界を良くしよう、と思うほど、

意識高くなろうと頑張れば頑張るほど、

かえって逆に

これから先の未来の地球では

それは悪い方向へ結果が進んでしまう

 

 

 

地球さんは言っている

「もう、いいかげん、寝ろ。ジャガイモを切るな、父w」と。

 

 

 

地球さん

「あなた方が、これからの時代にやろうと企んでいることは、

実はそれはワシ(地球)のためなんかじゃない。」

「本当は、お前さんたちが自分の満たされない心を成仏したいために行っているんじゃ」

「もっと得たい、もっと偉くなりたい、もっとスゴイって認められたい、もっと影響力を持ちたい」

 

 

 

 

地球さん

「たのむから、やめてくれ」

「これからはそれが逆効果となってしまうんじゃよ」

「ワシは自然治癒という能力が、そもそも備わってるんじゃ」

「だが今のワシはかなり疲れている。苦しい」

「良いことしてるってそれ勘違いじゃ・・・かえって迷惑なんじゃよ」

 

 

 

 

地球さん

「神様、ワシはもう、

体がもたんのです。

なんとかしてくれませぬか?」

 

 

 

「地球よ。今までご苦労なことじゃった」

「待っておれ、今後は、救いの女神たちを

地球上に降臨させようではないか」

 

 

 

地球さん

「おぉ!神よ!」

「有難きお言葉!」

「助かりますのぅ!」

 

 

 

「今後、女たちが、お前さんを癒し、

なだめ、そして救ってくれるじゃろう」

 

 

 

あのね、もう一度言うけれども、

「男」とか「女」

という風に2つに分断して、

差別的に取り扱いたいわけでは、

決してないの。

 

 

 

 

「男」も「女」もあくまで、たとえ話ね。

その上で、ワタシ、思う。

 

 

 

 

分かち合いとか、調和とか、

幸福とか、安心感とか、

育むとか、何かを慈しみ可愛がるとか、

笑いとか、楽しさとか、

滑らかさとか、美しさとか、

柔らかさとか、精神的にも柔軟さとか、

仲良しの精神とか、平等とか、

女性にまつわる属性がある

 

 

こーゆー考え方は、

今までの古い社会では、

食うためには、稼ぐためには、

成長するためには、あんまり

重要視されてこなかったもの。

 

 

 

だがしかし、

これらの考え方が、心の中にある人であれば、

その人が女の人であろうが、

男の人であろうが同じことなのです。

(肉体はただの器です。大切なのは心)

 

 

 

これからの時代では、

こーゆーものたちが、

重要になっていくし、

 

 

 

そもそも僕が意識を高めなくても、

誰かが意識を高めなくても、

なんとかしようとしなくても、

神のみえざる手によってそうなるのです

(でも次の時代へ向けて、みんなの集合意識へ貢献できるよう、ここに書きます。

でもそれも、神さまの視点から見れば、結局は、同じことなのです。私は神にとってのオートマトンなのだから)

 

 

 

 

そして、多分、そういった新しい流れを無視し続け、

今までの古い考え方のまま、競争を繰りかえしても、

結局、最終的には、紙の見えざる手の力が働き、

この世界で一番お金の使い方が上手な者

の手によって、次の社会が作られていくのです

 

 

 

 

それは競争に最後まで打ち勝った強者ではなく、

最初から競争に参加しなかった者たちへ、

その集められたエネルギーは移っていくのです。

 

 

 

これはそっくりそのまま言い換えると

人類全体の「豊かさの底上げ」

あるいは新しい「社会インフラの誕生」

ともいえる。

 

 

 

「誰もが生まれながらにして、

(社会的に)生かされても良いんだ」

という仕組みづくりへ向けて、

自然とそうなっていくのです。

 

 

 

 

*もしろん、無為自然に従うのであれば、

きっと僕らは、人間が発明した「社会」という幻想なんて

そもそもなくても大丈夫なのかもしれない。

 

 

 

エデンの園のように、僕らは生まれながらに、

最初から神様から「生かされて良い」という存在というのは、

あくまで例えば話。でもそのたとえ話は現実味を帯びていて、

実は、一人一人が自我が作り出す幻想を手放していけば、

生物学的に、リアルにこの地球上のエコシステムの中でうまく、

溶け込んで楽に楽しく、生きられる設計になっているのだと思う。

 

 

 

 

もしかしたら、神様的に言えば、

「社会とかも作んなw 意識高くすんなw そのままでいろw 楽しめw 頼むから余計な事すんなw 」

「最初から何も問題はおこらない。だって完璧なワシが作ったんよ?俺だよ俺!神だよ?」

って神様に言われてそうw

 

 

 

 

いづれの場合にせよ、新しい時代では、

リーダーも正義感も理想高き主義思想も、

帰って邪魔になるのです。

 

 

 

なぜなら、地球が持続可能であれば、

誰でもいいのです。

無名でいいのです。

自主的でもいいし、能動的にやらされててもいい。

誰でもいいの。

 

 

 

なぜなら、神さま的な視点から見れば、

地球さんが救われれば、どんな形だっていいのだから。

 

 

 

それでもあきらめきれず、

心の成仏(自我の欲を満たす)ために

それを行ってもいいよ。

それでもかまわない。

 

 

 

いづれにせよ、心の成仏で行うその行為も、

最終的には、自我を超えた世界(地球さん救済)のためのエネルギーへ変換され、

吸収・統合されていくのですから。

(ただし、これからの未来では、競争は一層苦しいものになるでしょう)

 

 

 

 

次の時代は、すべてが1つの大きな流れに向かって進んでいる。

この新しい時代の流れは誰も変えられない。

 

 

 

これは神様が定めたもの

(もしそうであるとしたら)

 

 

 

そして、それを信じなくてもいい。

 

 

 

誰でも、心の声を聞き続け、

奥行の世界の深くまで、見つめ続けていけば、

その先にあるのは、

結局は1つの同じゴールなの。

 

 

 

もし、この世界に「真理」

があるとするのあら、

それは全体を包括する1つの法則性である。

 

 

 

 

もしこの宇宙全体が真理に従っているのだとしたら、

それはまるで時計仕掛けの宇宙論の中で、

決められたようなシナリオのように動いている

 

 

 

もしそれが本当であるならば、

僕ら人類は全員すべて、

みんなの共通のゴール

「幸福」へ向かって進んでいる

 

 

 

 

それを知りたければ、

一人一人が、心の声の深く、深く、

更に深くの奥の奥。

奥行きの世界まで自分で探ってみればいいのさ

(知識では行かれない。感覚の世界)

 

 

僕らに必要なのは、

競争でも成長でも獲得でもない。

 

 

 

 

僕らは毎日、

楽しみ、食べ、眠る。(くうねるあそぶは基本なのです!)

楽しみ慣れると、必然的に他者に何かを与えたくなる。

(与えるからと言って何一つ、がんばらなくていいんだ)

そして、与えたら、豊かさも喜びも増えていく。

生きるに困ることは何も起こらない。

そのすべてを理解したとき、

僕らは神さま的なものと繋がり、

日々の暮らしに感謝する。

 

 

 

 

これだけ。

これだけ。

シンプル。

 

 

 

本来、これだけなんだ。

ライフ・イズ・シンプル

世界に感謝を。

 

 

 

そんじゃ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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