がんばらない競争しない不安がらないもとの理想郷へ

 

 

 

 

お金の要らない理想の世界。

それを思うも、日々、お金は使ってしまう。

どうすれば、理想の楽園になるのだろうか。

 

 

 

コロ沢が暴走する前までの2019年は、

ワイはお外に出て演奏活動をしてた。

 

 

そんでね、そとのきは

まだ始めたばかりだし、

右も左もやり方も良くわからんかったし、

別に演奏活動だけで生きていこう、

とも思ってなかったから、

お金のことはよくわからんかった。

 

 

 

それでもね、毎月呼ばれて、

演奏させて頂いて、

お金をもらえることもあったの。

 

 

 

それから、自分から営業するときはね、

演奏はしても、自分からは決して一切の

「売り込み」というものをしない、

って決めてたの。

 

 

 

そのかわりにね、

カフェとかお店の隅に

箱だけ置かせてもらって、

演奏が終わったら、

好きな人が勝手にお金をそこへ

入れていってくれた。

(だからワイは、お金のことを一切話さなくて済んだ)

 

 

 

 

で、お金の金額などどうでもいいの。

もっともっと重要な気づきがあったの!

 

 

 

 

ワイは、自分の大好きな音楽に関して言えば、

出来る限り「お金」という概念を含めたくなかった。

つまり、自分の大好きな「純粋なるお庭」

不純な概念(大好きなもの以外のこと)

一切、取り入れたくなかった。

 

 

 

それは言い換えると、

つまり「取引の概念」というヤツを

最低でもワイの世界の中では

「存在しないもの」としたかった。

 

 

 

 

で、実際にそういう演奏活動、

みたいなことを始めてみて感じたのは、

まあまあ、ガンバレば、ゆる~く楽しく自分のペースでやってけば、

そのうち、これだけでもなんとかかんとか食って行けんじゃね?

という手ごたえはあった。

(ま、今は、コロナでもう難しいけども)

 

 

 

ワイは別に、超お金持ちになって、

なんかすごい生活とか、

ブランド時計とかが欲しいとか、

そーゆーのは興味なくて、

 

 

 

あと、超有名になってとかも

興味なくて・・・

 

 

 

 

むしろ、毎日ご飯が食べられて、

普通に生活できて、

そんでもって「自分の大好きなことだけ」

(ワイにとっては音楽)ができて、

「そんでもって自分の世界観が大好き!」

って言ってくれる人たちに囲まれて生きられれば、

もうそれだけで超幸せじゃん!

って思ってた。

そんなレベルよ?

 

 

 

 

そんなにがむしゃらになんなくても、

あくせくがんばらなくても、

売れるために超激しい競争に乗らなくても、

その程度のレベルだったら、

「まあまあ、そのうち、やり続けていけば、イケんじゃね?」

くらいに思ってたw

 

 

 

 

取引という概念

 

 

 

「取引」という概念が、

いかに世界を2つに分断するか。

いかにそこから「光」だけでなく、

「影」を生み出すか、

これを語る人をワイはあまり見かけない。

 

 

 

 

そればかりか、世間では「光」の話ばかりで溢れている。

 

 

 

どうすれば「光」の部分に近づけるか。

そんな話ばかり。

ほとんど、99%そんな話ばかりが入ってくる。

 

 

 

いかに得るか。

いかに成功するか。

いかに理想を手に入れるか。

いかに目標を達成するか。

 

 

 

そーゆーのばかりだった。

(ま、ワイもそれを意識してたからかもしれんけどね)

 

 

 

 

でも実際にはね、

分断された自然現象というものは、

プラスとマイナスに分かれただけで合って、

統合すれば必ず0に戻る。

 

 

 

だから「光」が幻想だ、

という理由は、それは言い換えると、

もともと「なにも産み出してないよ」

ということなのだ

 

 

 

 

 

物理学の世界で言うところの

「質量保存の法則」

と同じような性質なのだ。

 

 

 

 

本当に、富が生まれたのか、

それとも富がただ

「移転」しただけなのか。

 

 

 

 

それを見極めることが、

最大の鍵なのだ。

 

 

 

 

一部の地域が豊かになったのに、

他方の地域の富が減ったのであれば、

それはただの「移転」なのだ。

 

 

 

一部の人が豊かになった原因が、

他の人たちのリソース(資源)によるもの、

であるならばそれは移転。

質量保存だ。ゼロサムゲームだ。

 

 

 

プラスマイナス0なのだ。

光と影なのだ。

 

 

 

そういう類の「光」は幻想だから、

それを追うと、同じ量だけ

「影」の部分も増えるのだ。

 

 

 

たくさん木を切って、

たくさんの製品を作れば、

たくさんの豊かさが生まれるけども、

 

 

 

たくさん木を切った地域の

土地が枯れて、災害が発生すれば、

その災害補填は未来のどこかで

穴埋めとしてやってくる。

 

 

ゼロサムゲームだ。

 

 

 

それを生み出す概念が、

「取引」なのだ。

 

 

 

 

「じゃあ何か?」

「ワシらに一切の経済活動をするなと?」

「生活をするなと?」

「生きるなと?」

「人間は生きる悪なのかと?」

 

 

 

 

静かにキレるひよこ

「あ?たまご食って何が悪い?」

(トリだけどもよぉ)

 

 

 

 

 

うんにゃ。

そーではない。

 

 

 

 

この世界には、

自然現象が光と影の2つに分断されない、

つまり幻想じゃない「本物の豊かさ」

というものが存在する。

 

 

 

 

それが無償の愛

 

 

無償の愛。

それに好奇心。

それに楽しさ。

 

 

 

それらから、

アイデア。

発見。

発明。

新しい楽しさ。

などなどが生まれ、

 

 

 

それらがさらに発展し、

テクノロジーへ化ける。

新しい仕組みが生まれる。

新しい人生観(楽しさ)が生まれる。

 

 

 

あとはそんな大きなことじゃなくても、

愛のある言葉とか、

親切心とか、

人を喜ばせるとか、

 

 

 

そーゆーのも、

資源(リソース)を必要としないから、

やればやるほど、増えていくもの。

よって質量保存の法則から外れる。

 

 

 

 

 

それに対して、

なにも産み出さない「取引」

とはまるで方程式のようなもの。

バランスシート。

A=B

 

 

 

Aの資産が増えれば、同様の分だけBに負債が増える。

100円を使えば、100円は減るが、その分、ジュースが手に入る。

 

 

 

また、別の視点でみれば、

取引は「因果関係」

ともいえる。

 

 

 

原因(富を生み出す原因)が発生し、

その結果が生まれる。

*結果の中には必ず富を相殺する負債が含まれている。

この2つは1つでセット。

ハッピーセット。

 

 

 

でも僕らは、光を見て、影を見ないふりする。

 

そういう傾向でもって、世界中の人々は生きている。

 

 

 

 

しかし「無償の愛」とは、

一方通行に

ただ与えるだけ。

 

 

 

 

もし自分から与えたとしても、

もしそこで見返りを期待してしまったら、

それはもう「取引の概念」の中。

もし失望してしまったら、それも取引の中。

もし落胆することがあれば、それも取引の中。

 

 

 

Aさえあれば、Bになる、

はすべて取引の世界。

 

 

 

それに対して「無償の愛」とは、

与えたら、そのまま放っておける勇気であり、安心感。

 

 

 

そんで、与えられた人は、

「そんじゃお返しをどうぞ」

つって、誰に強制されるわけでも、

誰にコントロールされるわけでも、

誰に洗脳されるわけでもなく、

 

 

 

「真の自由意志」でもって、

愛のお返しをする。

 

 

 

 

それこそが真の豊かさの循環

 

 

 

 

物乞いのような、

お布施のような、

托鉢のような、

 

 

 

なんともみじめな風にみえるかもしれないし、

なんともみっともないように思えるかもしれなし、

なんともカッコ悪いようにみえるかもしれない

 

 

 

でも、一切の副作用を生まない。

害を生まない。

心に1ミリのストレスも与えない。

つまり「影の部分」を生まない。

 

 

 

病気もストレスも不安も悩みも、

環境破壊も、他人との比較も、

すべての影を生まない。

 

 

 

全ては無為自然のままに行われる行為。

 

 

 

 

「そんな無茶な!」

「そんな理想郷な!」

「そんなバカな!」

 

 

 

と思うかもしれないけどもね、

なんかネットを見て見ると、

意外と、ネットの方が

そーゆー雰囲気で生きてる人、

結構たくさん、いる気がするね。

(そんでもって、どんどん増えていってると思うw)

 

 

 

たとえばゲーマーにしろ、

ニートにしろ、

ただおしゃべりするにしろ、、、

 

 

 

なんでもいいけど、たぶん、みんな生活のため、

とかじゃなくて「遊び」でやってるから、

執着なくできるんだろうね。

 

 

 

 

一切ビジネスをせず、

取引をせず、

ただ愛されて必要とされて

お金をもらうだけ。

 

 

 

あるいはもはや、

お金じゃなくて

アマゾンのギフト券とか、

あるいは食べ物でもいいのだ。

 

 

 

 

 

 

お金という「枠」を、

金庫に入れてガッチリ守ったり、

数字で記帳して、完璧に管理したり、

契約を交わして、きっちり線引きをする、

というようなカチカチとした

従来の昔のようなイメージじゃなくて、

 

 

 

 

お金という概念が消え、

ただ「豊かさ」としての

何かがアレコレ形を変えて、

空気のようにぼや~っと

充満してくようなイメージ。

 

 

 

 

 

なんか、

ベーシックインカムとか、

富の再分配とか、

 

 

 

難しい論理とか、

意識高い系な理想とか、理念とか、

 

 

 

 

そーゆー人工的プロセス

ってやつを省いて、

もっとシンプルに考えてみれば、

 

 

 

 

おそらく僕らは最初から

 

生れながらに神様から祝福をされていて、

ただ生きているだけで死ぬまで安心だった

 

 

 

そんな気がしたんだ。

 

 

 

 

無為自然に身を任せてみれば、

たぶん、なんか知らんけど、

実はこの世界では、

安心さえしてれば、お金ないし、

何かしらの形の豊かさでもって、

僕らは何も怖がることなく生きられる。

そもそも、そういう風に、世界が作られてる。

 

 

 

 

そういうとんでもない大前提を仮定してみる。

 

 

 

 

で、与えられたものだけを喜んでいれば、

それで地球はずーっとイイ感じに守られ続ける。

 

 

 

 

実は、みんなの集合的無意識によって、その安定が作られるんだ

 

 

 

 

でも、その大前提を忘れて、

「いいや、このままじゃいかん、もっと稼がねば」

「いいや、これはいやじゃ。ワイはもっとキラキラと豪華でみんなに見せつけられるような素晴らしいライフがほしい」

などなど、

 

 

 

自我が暴走することにより、

無為自然の調和(フォースの力)の均衡が

崩れだし取引という概念が生まれる。

 

 

 

すると「頑張らないと生きていけない社会」

「競争が必須の世界」が

みんなの集合的無意識の中で合意形成されて、

自然な形でこの世界で機能し始めていく。

 

 

 

「がんばらないといけない」

「成長しなければいけない」

「改善しなければ生きていかれない」

 

 

 

同じような思いを持ってる人が10人集まり、

ゆるやかない競争が生まれ、

 

 

 

同じような思いを持った人が100人集まり、

1つの大きな思想になり、競争度合いは成長し、

 

 

 

同じような思いを持った人が1000人集まり、

社会通念となり、常識となり、

社会の仕組みとして皆が「そのように」

自動的に振る舞い始める。

 

 

 

そして通念として成熟すると、

もともとの人間性は欠落し、

人々は動物的な自動反応だけを繰り返すようになり、

このプログラムされた行為(枠)自体に対して

疑問を持つ余地を失う。

 

 

 

 

がしかし、そもそも、

すべては信念(思い込み)の世界だ。

 

 

 

 

もともと完璧だった世界

 

 

旧約聖書では、楽園である「エデンの園」では、

人間が完璧な状態で暮らしていた。

でもある日、アダムとイブに向かって、

蛇が「リンゴを食べたらダメだ」という

一番初めの取引思考の種をそこで植え付けたんだ。

 

 

 

完璧だった人間たちに「思考」という

概念が生まれ、彼らの頭の中では、

リンゴを食べる前と食べる後、この2つに

世界は分断されていった。

善悪という人間の主観によって、世界が分断されてしまった。

 

 

 

 

そしてやがて、

分断された後の世界においては、

良し悪しがこの世界の判断基準となり、

人々は「光」を良しとし、

「影」を邪悪なものとした。

 

 

 

 

 

でも本当はもともと1つだ。

 

 

 

そしてこの「取引」の概念は西洋東洋問わず、

世界中でも見ることができる。

 

 

 

 

 

でも、最初は楽園だったんだ。

分断する(思考する)前の無為自然の状態は

神の祝福の息吹(フォースの力)が絶え間なく、

充満している。

 

 

 

もしかしたら本当は、

僕らは生まれながらに神様に祝福されていて、

無為自然に身を任せさえすれば、

心から安心しきっていれば、

 

 

 

なんか知らんけど、なんとかなるんじゃないのか?

 

 

 

 

そんな風に思えて仕方がないないんだ。

 

 

 

実は一番の幸せがそこに隠されているんじゃないのか。

 

 

 

 

それを実現するのは、

大規模な社会の変革より、

意識の高いすごい思想より、

英断したような大革命より、

 

 

 

無名で無力な界隈の人々の間から、それは自然と沸き起こる。

(無為自然に沿うのであれば、それが自然な歴史の流れのように思えてくるね)

 

 

 

ワイはそこに次の未来の希望を

見出している。

 

 

 

 

アフターコロ沢時代は、

今以上に、エネルギー獲得の難易度が

もっと、ぐーっと下がっていく。

 

 

 

 

そんじゃ

 

 

 

 

 

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