豊かさを回す根本は愛情と好奇心

 

 

 

ワイは豊かさを受け入れます。

豊かさを肯定します。

とっても大切なモノ。

豊かさはこの地球上から減らしていけない。

 

 

 

豊かさは増やすもの。

豊かさは絶えず流すもの。

 

 

 

 

年々、世界中で豊かさは無尽蔵に増えていく。

人類史上が始まってから、豊かさは

どんどん増えていく。

 

 

 

だがしかし、

「豊かさ」とは何だろうか。

 

 

 

「豊かさ」を増やしたり、

流したりするときに、

その量を測るために便利な「お金」

 

 

 

 

だがしかし、

それはただのツール。

 

 

 

本質を言えば、

本来、豊かさとは、

そのツールには付随しない。

 

 

 

 

豊かさを増やしたり、

流したり、回すために、

僕らはお金を使う。

すごく便利だし素晴らしいと思う。

 

 

 

 

だがしかし、

そのツールは、

時代に合わなくなって

きているのかもしれない・・・

 

 

 

 

お腹いっぱいの人

 

 

お腹が空いている人に

ご飯をあげましょう。

 

 

 

家が無い人に家を提供しましょう。

 

 

服が無い人に服を提供しましょう。

 

 

 

そうやって、

人々は満たされ、

世界は満たされ、

やがて不足から充足へ。

 

 

 

 

それを成し遂げるために

とても貢献してくれたお金。

素晴らしき活躍。

今までよく頑張りました。

 

 

 

 

だがしかし、

充足から過剰の時代へ。

 

 

 

 

お腹が空いてご飯を欲しがる人に

ご飯を上げることが

「需要と供給」

 

 

 

 

それなのに、

お腹が一杯の人に、

 

 

 

本当はお腹いっぱいなのに、

無理やり空腹を感じさせるようにすることは過剰。

 

 

 

本当はお腹いっぱいなのに、

この先、不安な時代になるかもしれないから、

「今、食べられるうちに食べておかないといけない」

と不安を売ることも過剰。

 

 

 

 

本当はお腹いっぱいなのに、

この新しいオシャレな食べ物を食べると

オシャレ、カッコいい、流行り、ステータス、

といって、幻想を売ることも過剰。

 

 

 

本当はお腹いっぱいなのに、

「あなたは実は、まだまだ空腹なのだよ」

といって体と心を分離させて、

心だけに訴えて売ることも過剰。

 

 

 

 

本来、無為自然に任せてみれば、

必要なものは必要なときに、

必要な人が得られるようになっている

 

 

 

 

だけども、人間一人一人に備わった

「本来の機能」がバカになっちゃって、

外の世界の情報(幻想)によって、

僕らは自由意志を持てずに、

オートマトン(自動人形)のように動かされる。

 

 

 

 

すると不足と過剰の違いなんて、

誰しもわからなくなっちゃう。

世界中みんなでバカになっちゃうんだ。

 

 

 

 

それは過剰が過剰を産み、

そして同じ分だけの無駄が

生み出され続ける。

(過剰分と無駄は2つでセット)

 

 

 

 

過剰の分だけ、

エネルギー消費、病気・ストレス・

社会問題の量が増える。

 

 

 

 

だがしかし、本来の「豊かさ」とは

過剰と無駄が相殺されるものではなく、

本当は、豊かさだけが増え続けるもの。

(それの正体とは・・・)

 

 

 

豊かさを入れる器である「ツール」

を豊かさだと勘違いして、

それを追い求め続けると、

それはその分だけと同様に、

それを相殺する問題が発生する。

 

 

 

木を切れば家を建てられる。

でももし木を伐りすぎてしまえば、

山が死に、生態系が崩れ、家どころか、村そのものが住めなくなってしまう

(自然との共存の輪を壊してしまった)

 

 

 

あるいは、一日10本しかバナナが取れないのにもかかわらず、

バナナを入れる器だけを100も1000も増やしたところで、

バナナは増えない。

 

 

 

もし器を過剰につくることが、

人々の原動力だとしたら、

空の器に入れるバナナの奪い合いが起こるので、

自然界の淘汰システムによって、

弱いものから強いものへ、エネルギー交換(吸収)が行われる。

 

 

 

 

だがしかし、

もし愛情や好奇心が人々の原動力であれば、

器ではなくバナナそのものを作りだすのだ。

 

 

 

余談だけども、

スーパーとかコンビニとか、

たくさんの豊かさ(すばらしい商品たち)がいてさ、

でも時間が経って売れ残ると、

捨てられちゃうの。

 

 

 

毎日毎日、ま~いにち、

大量の食べ物が捨てられちゃうの

 

 

 

 

でも経営者側からすれば、

お金(器)をたくさん得ないといけないからと言って、

決して値下げなんてできやしないの。

スーパーとかは、多少値下げはするかもしれないけど、

無料で人にあげるくらいなら廃棄しちゃうの。

 

 

 

 

経営をする側からしたら、きっとこんな風に思う。

「たった1度でも無料にしてしまったら、

もう誰もお金を出さなくなってしまうではないか!

そんんことしたら器(お金)が得られないし、ウチだってやっていけない!

そんなこと絶対に出来るわけがない!」

 

 

 

ここにも過剰と無駄の2つがセットで存在するの。

(こんなのはほんの一例。他にもたくさんたくさん。)

過剰と無駄を相殺すれば、そもそも僕らは頑張らなくても

既に豊かさを享受してもいいという、

真の楽園が待っているというのに・・・

 

 

 

「過剰」が発生しなければ、

本来、豊かさだけが増え続ける。

 

 

 

 

それを生み出すのは、

ツールでも器でもなく、

愛情や好奇心や楽しさとか。

 

 

 

 

豊かさを増やしたり、

回したり、流したりするのに、

お金の代わりに、

「愛情」や「好奇心」「楽しさ」を使えたら、

今よりもっと素晴らしい世界がやってくる。

 

 

 

 

豊かさは重要。

増やすべきもの。

社会全体に流すべきもの。

絶えず回し続けるもの(それが経済)

 

 

 

だけども、

それを流したり増やすための

ツールの寿命が、

そろそろきているのかもしれない

 

 

 

 

それに僕らが豊かさを

増やしたり回したり、

流したりするために、

本来は「枠」などいらないのかもしれない

(契約、規約、金庫、口座、条件、取引内容、あらゆるこれらは枠)

 

 

 

 

加えて人々を「個人」という枠に分断することで、

競争を促すが、しかし時が経ち過ぎたとき、

それは社会全体へ豊かさを充満させることができず、

逆に滞らせてしまう。つまり、

非効率の要因の1つで、システムの欠陥となる。

(黎明期、成長期は、問題なく充満していった。

だけど、衰退期、つまりお腹いっぱいのフェーズに入ると、逆に滞らせてしまう)

ヒヨコ「もう、これ以上は食べられないでしゅ・・・」

 

 

 

 

豊かさを数値化し、

枠で測り、

囲ってしまうと、

それは器となる。

 

 

 

 

しかし、本来の豊かさは、

まるで風のように、水のように、電気のように、

流動的で、一か所に留まることがなく、

フローするもの

 

 

 

これまでの時代、豊かさを、

大きな器に入るからこそ、

上から下へ流し、

全体へ広げることができた。

(それは国家が担っていた)

 

 

だがしかし、

その器の寿命が来ているのかもしれない。

 

 

 

 

もし器を必要としなければ、

本来、豊かさとは、

空気のように、

風のように、

そこら中に充満させることができる

 

 

 

 

すると人々は、

春夏秋冬、まんべんなく実らせては、

そこら中に生える木の実のように、

充満した豊かさを、誰も見向きもしなくなる。

 

 

 

 

すると、豊かさをめぐって争う余地はなくなる

 

豊かさをめぐって他人と比較する意味が消滅する

 

 

 

 

豊かさが、

空気みたいにタダ。

充満してる。

減らない。

 

 

 

 

「オレの空気、よこせ!」

なんてこと言う人はいないのだ

それと同じこと。

 

 

 

 

すると人間は、

「エネルギー補給」という低級な欲求を

満たすのではなく、

創造・表現など、より高次の欲求を

満たしたくなるようにできている。

(つまり、遊びたくなるのさ!)

 

 

 

 

喧嘩、競争、ストレス、比較、戦争、そんなものと無縁の世界へ。

 

 

 

これが豊かさの本来の在り方。

 

 

 

空気みたいに漂ってる。

風みたいにフローしてる。

水のように低きに流れる。

(これが物理法則に沿った本来の在り方)

 

 

 

 

* 流れに沿うように生きるならば、苦しみの道が待っている

 

 

 

競争は、

大多数の多くの人が負けることを意味する。

コレは競争をする者たちの必然。決定論。

 

 

 

そして競争に負けてしまった多くの人々の

成仏されない思いは、やがて、

不安、ストレス・病気、諸々の社会問題へ

変換されていく。

 

 

 

「過剰」と同じ分だけ「無駄」が生まれるのだ

(本来、こんなネガティブな副産物は社会に必要ないもの)

この2つは1つでセットなんだ。

 

 

 

 

だからワイは、

過剰と無駄を相殺させたあと、

その上でまだ残っている

「本来の豊かさ」のみを信じる。

 

 

 

 

ワイはその豊かさを肯定する。

豊かさは重要。

豊かさはみんな大好きなはず。

豊かさはみんなをハッピーにする。

 

 

 

でも、それを入れるツールに

まどわされない。

それは幻想。道具。

それを追うと、セットで影が付いて回る。

 

 

 

封建社会でもなく、

絶対王政でもなく、

社会主義でもなく、

資本主義でもなく、

 

 

 

愛情と好奇心、楽しさがすべての人の活動理由。動機。生産性の源。(これこそが本当の人間性)

 

 

 

 

そしてそれを、

可能にしてくれるのが・・・・

 

 

 

 

中央がいない存在(非中央集権システム)

*あるいは中央の権限が限りなく限定されているか、それぞれの局のうち、必要性が出てきた個所が一時的に中央になるが、問題を解決した後は、すぐにその権限が次の局へ移る。

(バックミンスター・フラーレン体)

 

 

 

 

未来のカタチは、従来のピラミッドのように、

エネルギーの一極集中ポイントが発生しない。

空気のように、まんべんなく分散されるのに、

ちゃんとそれぞれに繋がりがあり、

繋がりを経由して豊かさが回る社会。

それでいて、三角形のように安定しているのに、

負荷が掛からない構造。

 

 

 

 

まるで未来を予言したかのような、

昔の偉人が作った未来のカタチ。

いいや、預言そんなものはないのかもしれない。

 

 

 

未来はみんなの思い。

みんなが気づいていないけど、

実は心の底で感じている、

集合的無意識が指し示す「コレが良いなぁ」の方へ、

自然と動いている。

「コレが良いな」と思ったからこそ、

預言ではなくソレに向かって実現させようと、

バラバラだったみんなが1つの方向へ向かって動き出すんだ。

(世の中に星の数ほどあるたくさんの預言のうち、一番、みんなの集合無意識に届いたものが、決定的な未来へと収束していく)

 

 

 

 

ワイは別に、社会派じゃない。

思想も哲学も革命も知らない。

世界を変えようとかそんなスケールのこと

思っていないし、

今の世界に対しての不満も無い。

今の世界は今のままでもいい。

 

 

 

ただ、、、ワイは、

せめて、半径3メートルだけでも、

せめてワイの行き届く範囲だけは、

ワイが「これ良いなぁ」と思えるような

世界観で生きられたら、素晴らしいなぁと思った。

 

 

 

周りを変えようとは思わない。

ただ、自分自身だけでも、

こんな在り方になれたら、ステキだなぁって

そう思っただけなんだ。

 

 

 

 

 

「次の時代の勝ち方」ではなく、

そもそも戦わなくていい時代へ。

 

 

 

 

自分から得ないといけないモノじゃなくて、

空気みたいに充満させるシステムへ。

 

 

 

 

 

そんじゃ

 

 

 

 

 

 

 

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