「自分らしさ」の中枢部へ入っていく階段

 

 

「好きなこと人生」をより良くし、

幸福の方へ導いていくために、

ワタクシ、更なる階段へ進んでいきたい

 

 

 

 

「好きなこと」を長年やっていくと、

そりゃ、多少なりとも、技とか、

スキルとか、型とか、

いろいろなもんが、身に付いてくる

 

 

 

それは音楽にしろ、テニスにしろ、

手芸にしろ、登山にしろ、

エアーギターにしろ、

お料理にしろ、

エアーギターにしろ、

 

 

 

どんな分野であれ、

いろんなもんが、

身に付いてくる。

 

 

 

ワタクシは、まだまだ

腕を磨きたいし、

技を極めたいし、

型を身に着けたい

 

 

 

 

がしかし

 

 

 

 

実は、

逆に、

本当のところは、

 

 

 

そーゆー階段を

降りるときが、

来たのかもしれない。

(まだ途中だけども)

 

 

 

そして、本来、

「開かなければならない扉」

そしてその先にある、

「別世界の階段の存在」

気が付くときが、来たのかもしれない。

 

 

 

技を磨くとき、

ワタクシは、自動人形(オートマトン)となり、

技の道(アルゴリズム空間)にとらわれはじめる。

 

 

 

オートマトンとは、自分自身には自由意志がなく、

上位概念(自然、仕組み、支配者、プラッとフォーマー、設計者、法、などなど)

によって無意識のレベル操られること。

(しかし、自分自身はそれに気づけない状態のこと。自由意志があると思い込んでいる状態)

 

 

 

 

アルゴリズム空間とは、

オートマトンたちを動かすための仕組みや、

それらを留めておくための枠組み。

(自然環境、国、法律、預言、会社、プログラム、規範、プラットフォーム、パターン、型、システム、行動心理、常識、マスメディア、などなど、その他、様々なものがアルゴリズム空間になりうる)

 

 

 

 

技を磨くとき、

ワタクシは、教科書の中へ。

ワタクシは、過去のデータの中へ。

ワタクシは、既存の概念の中へ。

 

 

 

ワタクシは、自分が所属する

アルゴリズム空間へと、

囚われていく。

 

 

 

また同時に、技を磨くとき、

ワタクシは、ワタクシ以外の他人の存在によって

囚われはじめる。

 

 

 

なぜなら、その道を進んでいるのは、

ワタクシだけではなく、

ワタクシ以外の他人も同様であるから。

 

 

 

 

他人だけではない、

やがてAIもプログラムも

近い将来、同様にワタクシが進んできた道を

後から同じように辿って行く。

 

 

 

 

するとやがて、そこに競争の概念が生まれる。

秩序(規則性)から無秩序(カオス)への崩壊のエントロピーが始まる。

「生から死への一方通行」のプログラムが始まる。

 

 

 

そして、更にその道を進んでいくと、

一番最後に、そのアルゴリズム空間を定義する

「行き止まりの壁」にぶち当たる。

 

 

 

その壁には「死」と書いてある。

 

 

 

生成から発展、そして崩壊、

生から成長、そして死へのプロセスは

ひとつのアルゴリズム空間の中で、

一方方向へ向かって流れていく。

 

 

 

 

歴史は、常にこのプロセスを

何度も繰り返す。

 

 

 

 

新しい扉と別世界への階段

 

 

技を磨くのもいいけどさ、

スキルを習得するのいいけどさ、

誰かの真似をしててもいいけどさ、

方法や手順に沿ってもいいけどさ、

 

 

 

実は、もっともっと大切なことがある。

 

 

 

 

自分にしかできないこと

自分にしかできない表現

自分にしか出せない自分らしさ

 

 

 

こーゆーものに気づいていく

そういう方が、もっともっと

もーっと重要なの

 

 

 

こっちの道の登り方は、

磨くことじゃないの、

気づくことなの。

 

 

 

 

自分磨きのフェーズから

自分癒しのフェーズへ

 

 

 

自分らしさを取り戻すために、

自分磨きをすることをやめ、

自分癒しをすること

 

 

 

古い階段を降り、

新しい扉に気づき、

今まで追ってきたそれを捨てて、

勇気を出して別世界への階段を登り始めること

 

 

 

 

それはつまり、

誰かになりたい!

という思いを捨てること。

 

 

 

それはつまり、

本来の自分へ戻っていく、

ということ。

 

 

 

組み込まれたアルゴリズム空間

(またの名を運命論)から抜け出し、

自分自身が自由意志を持たない操り人形

(オートマトン)であることを辞め、

自分の道を作る!と決意をすること。

 

 

 

 

自分が神であることに気づくこと。

0から1を想像できる創造主(クリエイター)であること。

「ない」から「ある」へ変換する力に気づくこと

 

 

 

また同時に、自分は「自然の一部である」ということに気づくこと。

自分は自然の一部で、メディア(媒体)にすぎないこと。

自分の知識ではなく、世界から自分を通して知識が入ってくることに気づくこと。

自分は受け取る器(意識のレベル)があるということに気づくこと。

 

 

 

 

 

知識を捨て世界に同調する

 

 

別世界への階段を登るとき、

今まで持ってきた知識は

必要なくなる。

 

 

 

すべては世界が自分に対して

必要なものを必要な分だけ、

与えてくれるようになる。

 

 

 

そこに気づけないと、

自分の小さな知識量だけで、

何かを創造しようと、

躍起になってしまう。

 

 

 

そんなものは取るにたりない、

ということに気づくこと。

 

 

 

 

今までの知識を捨てて、

世界に身をゆだねること

 

 

 

 

世界にお願いをすること

 

 

 

世界にアクセスすること

 

 

 

ただし、自分の知識と一緒に、小さな自我も捨てること

 

 

 

 

もっと本来の自分の思いに気づくこと

 

 

 

 

自分にしかできないことに気づくこと

 

 

 

自分だからこそできることに気づくこと

 

 

 

 

気づけば気づくほど、

階段をどんどん登っていける

 

 

 

 

なんだかよくわからん不思議系な力も、

闇の世界で密かに使われる怪しげな黒魔法も、

苦しいアルゴリズムな方法論も、

そーゆーのは、無くても大丈夫。

 

 

 

 

もっともっと

シンプルになること

 

 

 

もっともっと素直になること

 

 

 

もっともっと自分に正直になること

 

 

 

もっともっと自然になること

 

 

 

もっともっとゆるゆるになること

 

 

 

もっともっと「楽」の中へ

 

 

 

 

 

自分癒しの階段を

登っていこう

 

 

 

 

そんじゃ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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