やさしい世界

 

「あーん、もう・・・

ワタシはいつまでたっても好きなこと

わかんなーい!!!」

 

「チョロくなんて生きられない―い!」

 

「頑張るな!って言われても頑張るの辞められないよぉ・・・」

 

「ゆるくなんて生きられないよー、やっぱり力が入ってしまう・・・」

 

「今のままで幸せになんてなれない!苦しい!」

 

「やっぱり自分責めしちゃうし・・・」

 

「自分を褒めるなんて私には無理!」

 

「セルフイメージなんて上がらない」

 

「嫌なことやらなきゃ生きていけないの!」

 

「どーせ自分なんてダメなんだよ」

 

「この世にイージーモードなんてないよ!少なくとも自分の周りには!」

 

「世間はいつも冷たいし厳しいよ。このブログの言ってることなんて嘘さ!」

 

「とは言っても、やっぱり世の中は甘くない!」

 

「頑張らないほうが良いなんてよくそんなこと言えたもんだ!」

 

「競争しない世界なんてありえないんだよ!」

 

「価値を生み出さない人間は生きていても仕方がないんだ!」

 

「好きなことなんて二の次だ!頑張って生きるのだ!」

 

 

 

 

 

 

と、

 

 

 

 

 

文句ばかり言う

そこのKISAMA★!

 

 

 

 

 

 

とっとと帰れェ!

 

 

 

 

 

 

そして、

 

 

 

 

 

弱音ばかり吐くそこのヤツめ!

 

 

 

 

 

 

 

せいぜい来世でがんばれYO!

 

 

 

 

 

強者の論理

 

 

なーんてことばかり言う、

厳しい世界。

塩対応な社会。

ハードボイルドな世界。

 

 

 

「お前も頑張れよ!」と言って、

一見、優しそう見えるが、本当は

「自力でやれや」の考えを主体とする、

実は無慈悲な空気。

 

 

 

 

毒づいている人を切り離す(無視する)

 

苦しんでいてもがいている人を、

お荷物のように扱う

 

弱者を置き去りにする

 

生産性のないものを悪とする

 

非効率的なことを嫌う

 

 

 

 

だとしたら、

そんな世界は嫌だなぁ

さみしいなぁ

 

 

 

 

出来ない人も出来る人も2つで1つ

 

 

出来る人がいるのは、

出来ない人がいるおかげだし、

 

 

出来ない人がいるのは、

出来る人がいるおかげ。

 

 

 

あなた以外の出来ない人がいるから、

あなたは、出来る人であり続けられるのに。

 

 

 

あなた以外の出来る人がいるから、

出来ないあなたは、助けられているのに。

 

 

 

 

そして、たまたまの運だけで、

出来る人に生まれただけなのに。

出来ない人に生まれただけなのに。

 

 

 

 

出来ない人を切り離すと、

社会はできる人だけが残り、

 

 

 

残った出来るの人の中で、

さらに序列(優劣)が始まり、

 

 

 

その中で、再び、

出来る人と出来ない人に分かれる。

 

 

 

そしてまた、できる人が

出来ない人を切り離す。

 

 

 

それを繰り返すと、

最後にたった一人だけ残る。

そして誰もいなくなった・・・

 

 

 

それはとっても恐ろしい世界だね

 

 

 

本当は、できる人も出来ない人も2つで1つ。

1つの巨大な生き物なのにね。

 

 

 

 

 

 

 

 

お魚が欲しい人に、

魚の釣り方を教えてやる優しさもある

 

 

でもでも、

本当はみんな、

 

 

 

お魚が欲しいのさ

 

 

 

お魚をあげる優しさもあるのさ

本当は、そっちの方が多めでいいのさ

 

 

 

 

お山のてっぺんは狭い

 

 

崖なんて登らなくてもいい

なんなら、

階段すら登らなくていい

 

 

 

 

だって、登った先にある世界が、

徐々に小さく削られていく世界なのであれば、

最初から登らなくていいのさ

 

 

 

 

もちろん、登れる力がある人や、

登りたいと思っている人は、

そのまま自由にひょいひょい登ればいいけど、

みんながみんな、それができるわけじゃない・・・

 

 

 

自分の居場所が作れること

そして、それが容易なこと

 

 

 

それが「」

 

 

 

は、

崖も階段も、

なんなら、でこぼこさえも無い。

最初から「バリアフリー」なのだ。

 

 

 

 

ダークサイドを形成する社会

 

 

物体に光を浴びせると、

必然的に、影ができる。

 

 

逆な言い方をすれば、

物体に影があるとき、

必然的に、そこには光がある

 

 

 

一部にスポットライトを当てる社会は、

必ずダークサイドを生み出す。

 

 

 

一部にスポットライトを当てる

みんなそこに群がる

 

 

 

がしかし、全員をそこに収まるくらいの

スペースはない。

文字通り、スポット(一部)なのだから。

全員は救済できない

 

 

 

そしたらどうだろう・・・

 

 

 

 

「どうせ自分なんて」

「どうせだめ」

「わたしなんて」

 

 

 

この黒い声が、

ダークな部分が

かたまりとなり、

憎しみとなり、

呪いとなり、

 

 

 

スポットライトの

反対側の影となる

エモい。

 

 

 

 

光の世界

 

 

知ってる?

 

 

物体を360度、

全方向から光を当てると、

「影が完全に消える状態」

を作り出すことが可能なのだ

 

 

 

そんで、これの真逆の状態なら、

あなたもよく知ってるよね?

 

 

 

真っ暗闇

 

 

部屋の電気を消せば、

すぐに真っ暗闇の状態を

作り出せる。

 

 

 

でもね、

真光(まっぴかり)な状態だって

作れるのさ。

(そんなときは、360度から光を当てるのだ)

 

 

 

 

 

持続可能な世界

 

 

みんなにスポットライトを当てる社会

みんなが活躍できる社会

みんなが「あ、自分ここにいていいんだ」

って思える社会って、

みんなが光みたいに輝ける世界。

 

 

360度どこもかしこも光。

影が無くなる世界。

 

 

あなたの問題はみんなの問題

 

 

心の問題は、

個人の問題。

 

 

 

そうやって、

このブログでは、

「個人の心」に焦点を当てて、

長いことブログを書いてきた

 

 

 

でもでも、

それは1つの見方。

 

 

 

本当は、

個人の心の問題は、

個人の延長である社会の問題でもあるのだ

 

 

 

個人=社会

 

 

 

2つで1つ。

セットで切り離せない。

 

 

 

あなたの心の問題は、みんなの問題であり、

皆の問題は、あなたの心の問題でもある

 

 

 

延長していくと、

2つが同じであったことに気づく。

 

 

 

だから、

「社会のせいにするな!」

「自分の心持ち次第だ!」

 

 

 

というのは、

1方向からの視点。

 

 

 

本当はね、

「自分の心持ち」の視点と

「みんなの心持ち」の視点

2つがセットで1つなのにね。

 

 

 

 

だからね、

2つがセットになると、

皆の視点(全方向からの光)が当たると、

影(問題の1つ)が消えてなくなる

 

 

 

 

それがのしくみ。

 

 

 

大丈夫だよ、

は、

少しずつ始まってきている