自分から与えちゃうってことは結局〇〇ってことなんだよね

 

 

あなたは、下の3つの分を見て、

どう思う?

どんな感想を持った?

 

人に与える

先に与える

自分から与える

 

 

 

「与える」という行為については、

このブログでも過去に何度か書いてきた。

 

 

ビジネス的な視点で書いときもあった。

 

 

それは、

「ギブ アンド テイク」

という発想。

 

 

先に与えて、あとでがっぽり、

もらっちゃおうYO!

的なやつ。

 

 

 

無料オファーとか、

プレゼント企画とか、

試供品とか、

試食とか、

無料コンサルとか、

 

 

ようするに、

先に与えちゃうのだ。

そういう策略なのだフフフ。

 

 

そういう視点での

「与える」という行為については、

過去の記事でも書いた通り↓

「商売とは人を喜ばせる事・他者の問題を解決する事」

 

 

 

 

それからね、今度は、

「好きなことを見つける」

というテーマの記事でも

「与える」ということについて昔、

ブログ記事を書いたのだ。

 

当時の記事↓

「それでも好きなことが見つからない*あなたが変わる4つのゲーム」

 

 

「好きなことが見つからない!」

っていう人は、人を喜ばせるといいよ!

ってことを書いたのだ。

 

 

そんで喜ばせるために、

誰かに何かを与えるといいよ!

するととっても幸福な気持ちになれるよ!

もしかしたら人生の生き方見つかっちゃうかもよ!

って書いたのだ。

 

 

 

 

で、今回は、

この「与える」ということについて、

もう少し、深く掘り下げて、

見てみようかなと思た。

 

 

 

 

与える人の心とは

 

 

何かを誰かに「与えよう」

と思った人は、

どうしてそういう風に

思ったのだろう。

 

 

 

きっと、その思いは

十人十色。

みんなそれぞれ理由があって、

それぞれの考えのもと、

「自分も与えたい!」って思ったはず。

 

 

 

 

じゃあね、

それらはどんな思いなのか、

大きく分けてみてみたいと思う。

 

 

 

 

まずはね、

「未来」に意識をしている人。

 

 

 

 

自分から先に与えることで、

未来になって、あとから、

与えたもの以上が返ってくる、

という期待をもとに、

与えている人。

 

 

 

さっき言った、

無料プレゼントとか、

試供品とか、お試しセットとか、

 

 

 

あるいは、

誰かに優しくしたり、

誰かのために働いたりして、

良い関係や信頼関係を築いておいて、

後から、尽くした人から、

お礼や仕事や、チャンスや

いろいろな豊かさの種が返ってくるとか。

 

 

 

そういう風に、

未来に希望を持って、

先に与えることをしている人もいる。

 

 

 

 

そんじゃ今度は、逆に、

未来に絶望していて、

絶望する未来が来る前に

与えちゃう人について。

 

 

 

自分が〇〇を持っていると、

あとあと、面倒なことが起きてしまう。

(未来で損をしてしまう)

そうならないためにも、

そんなものを持っているより、

誰かにあげてしまおう。

 

 

 

的な。

 

 

 

そんな人は、

もっている何かを、

活用することができず、

誰かに与えてしまう。

 

 

 

貧しい国の日雇い労働の人ってさ、

その日稼いだ金を、すぐに

ぱっと使ってしまうんだ。

だって、自分たちはいくら頑張っても、

将来報われることはない、って思ってるから。

だから、今日のストレスを癒すために

お酒やギャンブル、女性とかに

ぱーっと使ってしまうんだ。

 

 

 

 

そんじゃ、次は過去について。

 

 

 

 

過去を意識しながら、

誰かに何かを与えたい、

と思っている人について見てみたいと思う。

 

 

 

 

 

その人は、過去の過ちに対して、

後悔の念を持っている。

そして、それを

今、与えることで、

償(つぐな)おうとしている。

 

 

 

それって、一握りの人だけ、

と思われがちだけれど、あながち、

あなたも僕も、小さいレベルでやってるの。

 

 

 

例えば、誰かに何かをしてもらう。

仕事や親せき、友達関係とか、

付き合いとか、人間関係とかで、

あなたは、義理を感じて、

 

 

 

「あれだけ、やってもらったのだから、

何かお返しをしなくてはいけない!」

 

 

 

とか、

 

 

「今、与えておかないと、

あとあと人間関係で大変な目に合う。

自分だけ仲間外れにされる!」

 

 

とか。

 

 

一種の義務感(深く見るとそれは、罪悪感)

をあなたは、あなた自身で、

勝手に背負って生きている。

大きいレベルでも小さいレベルでも、

ひとそれぞれ、この義務感は持っている。

そして、その後ろめたいような、

申し訳ないような気持ちで、

ついつい、与えてしまうのだ。

 

 

 

そういう考えで

誰かに何かを与えたい、

と思っている人もいる。

 

 

 

 

与えることで、

「自分の中の何かが許される」

のではないか。

そういう思いをもって、

生きている人もいるのだ。

 

 

 

救いが欲しくて与えているのだ

 

 

 

 

そんじゃ、次のパターン。

 

 

 

あるいはね、逆のバージョンで、過去に

「与えたら、こんなに楽しいことがあった!」

「与えたら、こんなに良い思いをした!」

っていう良い感情を持っている場合もある。

 

 

 

それで、あのとき感じた良い感情を、

もう一度味わいたくて、与える、

ということをする人もいる。

 

 

 

 

例えば、

あの人においしい料理を作ってあげたら、

めちゃくちゃ喜んで食べてくれた!

だから今回も作って、また、

喜んでもらいたい!

 

 

 

 

っていうような、昔、

自分が与えたことで、

自分に良い結果が返ってきたとき、

その体験をもう一度、再現しようとして、

与えているのだ。

 

 

 

これも、期待しているのだ。

過去に起こった気持ちの良かった出来事を

また味わうことができる。

 

 

 

そこに期待をして

誰かに何かを与えているのだ。

 

 

 

 

 

そんで、未来に期待しようが、

未来に絶望しようが、

過去の償いをしようが、

過去に期待しようが、

 

 

 

どれが正しいとか、

どれが間違いとか、

どれが良いとか、

どれが悪いとか、

 

 

 

そういうのはないんだと思う。

 

 

 

別にどれでもいいんだと思う。

 

 

 

 

あなたが選んだものが、

あなたにとってのベストで、

あなたにとっての正解なのだ。

 

 

 

 

そんで、今まで上げてきた4つに

共通することは、

取引をしている

ということなのだ。

 

 

 

 

与えるから、あとで(未来で)また頂戴ね。

与えるから、あとで(未来で)損しなくて済む。

与えるから、過去の過ちを許してね。

与えるから、また過去のように、頂戴ね。

 

 

 

すべて取引なのだ。

 

 

 

 

そんじゃ、5つ目。

 

 

 

 

無償で与えるということ

 

 

これが5つ目。

ここに取引の要素は無い。

 

 

無償で与えるということ。

それは、

 

 

見返りもないし、

期待もないし、

償いもない。

 

 

 

ただ、与える

 

 

理由:

私は与えたいと思ったので、

ただ与える。

そんだけ。

 

 

 

 

そそ。

 

 

 

そんだけ。

 

 

 

無償に与えるってこと。

 

 

 

そんなことに、

何の意味があるの?

意味ないじゃん。

 

 

 

 

 

と思った人には、

意味は何もないのだと思う。

 

 

 

意味は、人それぞれが

その行為から見出すもの。

 

 

 

 

そんでね、ワシはこう思う。

 

 

 

 

無償に与えるとは、安心の境地

 

 

見返りも無く、

期待も無く、

償いも無く、

 

 

 

「無償に与える」

を行えると、

あることに気が付く。

 

 

 

 

与えた瞬間、あなたには、

「誰かに与えることができるだけの余裕がある」

ということに気づく。

 

 

 

 

あなたの心の中に

「余裕」が生まれているということ。

これが、安心への気づき。

 

 

 

与えてもあなたは、無くならない。

与えてもあなたは、平気。

与えてもあなたは、大丈夫。

与えてもあなたは、ダメージを負わない。

与えてもあなたは、へっちゃら。

与えてもあなたは、死なない。

与えてもあなたは、余裕。

与えてもあなたは、安心。

 

 

 

 

 

嬉しいから与えるのではなく、

人に言われたから与えるのではなく、

見返りがあるから与えるのではなく、

気持ちいい思いをしたいから与えるのではなく、

カッコいい思いをしたいから与えるのではなく、

道徳的に正しそうだから与えるのではなく、

社会的に正しそうだから与えるのではなく、

 

 

 

 

ただ、与える。

 

 

 

 

ぼーっとしてたら、

なんか知らんけど、

与えていた。

 

 

 

 

「余裕」ってそういうこと。

 

 

 

 

真剣に考えたり、

悩んだり、

損得計算したり、

利害関係を見積もったり、

自分の美徳について気にしたり、

社会の道徳心につられたり、

 

 

 

というようなことを、まったくしていない。

そういうことに、あなたの脳を

働かせていない。

 

 

 

 

あなたはただ、

ぼーっとしていて、

なんか知らんけど、

ふと、与えてしまったのだ。

 

 

 

何も考えてないのだ。

脳みそを働かせていないのだ。

 

 

 

ぼーっとしていたら、

あげちゃった。

 

 

 

まるで、お菓子を食べるかの如く、

まるで、テレビを見るかの如く、

まるで、布団で眠るかの如く、

 

 

 

ごく自然体に、

あたり前のように、

何も考えることなく、

何も感じることなく、

 

 

 

ただ与える。

 

 

 

 

それが「余裕」ってこと。

 

 

 

 

余裕の状態っていうのは、

あなたの心に「安心」

すでに存在している

っていうこと。

 

 

 

余裕の状態っていうのは、

あなたが心から

安心しているということ。

 

 

 

 

前のブログにも書いたね、

「安心」の境地は、

イージーモードを超える

チートモードなんだ。

 

 

 

 

安心はどこに潜んでいるの?

どうやって得るの?

どこにあるの?

 

 

 

 

うん、

そこにあった。

 

 

 

 

安心して与えているときは、今に生きている

 

 

安心して与えているとき、

無償に与えている。

 

 

無償に与えているとき、

過去や未来に対する

損得勘定や打算がない。

 

 

 

未来に期待してもいないし、

過去を償ってもいない。

ただ今に意識している。

 

 

 

 

今この瞬間、

「与えたい」と思って

与えているだけ。

 

 

今この瞬間しか見えていない状態。

 

 

 

ちょっと待って!

今この瞬間、何も考えずに

与えることができたけれど、

与えた直後、次の瞬間に、

「あ~、ちょっとあげすぎた!」とか

「あ~、やっぱり上げなければよかった!」とか、

って思えちゃった・・・。

 

 

 

それって、あなたは、

過去にとらわれ始めている。

先ほど、あなたが与えた瞬間は、

今ではもう、過去の出来事となっている。

 

 

あなたは、その過去の出来事に対して、

後悔し始めている。

打算が始まったのだ。

(もっと、あの時、ああすべきだった)

 

 

 

既に過去になってしまった出来事に対して、

とらわれ始めたのだ。

 

 

 

つまり、さきほどまでは、

今その瞬間を意識していたのに、

次の瞬間から、あなたは、

過去を意識し始めたのだ。

 

 

 

 

「与える=安心」

ではないよ?

 

 

 

 

与えたら安心が来るのではないよ。

 

 

 

 

与えるのが怖い。

与えすぎた!

もっと少しだけにすればよかった。

与えたのに喜んでくれない、悲しい。

 

 

 

そんな風に、すこしでも、

とらわれ始めるのであれば、

与えるものを少なくする、

あるいは、

与えるという行為をやめる。

 

 

与えるから安心になるのではなく、

あなたが「余裕」と感じられる分だけ

「与える」をやればいい。

 

 

そんだけなのだ。

 

 

 

そこではじめて、

あなたの心に「与える余裕があった!」

ということに気づけるのだ。

 

 

 

未来でも過去でもなく、

今この瞬間に与えるということ。

 

 

 

そこには、セルフイメージの、

最強★最終形態、

「安心」が隠されている。

 

 

 

探してみようかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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