もっと自然を見ていこう。見えない部分に偽物が入りだす前に

ありのままを見ることを忘れた者は頭の中に偽造を作りだす

 

 

これは、少し前のできごと。

自分の脳みその話。

自分の耳についてのこと。

 

 

 

その前に、あなたは「耳コピ」

という言葉を聞いたことありますか?

 

 

 

 

「耳コピ」または、専門用語では

ソルフェージュ。

 

 

 

これは、一言で言うと、

耳で聞いた音を、

紙の上に記録していく作業。

 

 

 

「あ、今、ラの音が鳴った」

というのを自分の耳で聞いたら、

それを紙の上に、黒いおたまじゃくしを書いて、

五線譜のラの位置にそれを記載していく作業。

 

 

 

 

そんな感じ。

 

 

 

 

 

この「耳コピ」ができると、

ユーチューブとかCDとかで聞いた

何かの音楽を、楽譜に変換したりできるし、

あるいはそれすらもめんどくさい場合は、

そのまま聞いた音を頭の中で記憶して、

その記憶をたどりに、実際に楽器を鳴らして、

聞いた音の通りに演奏することができたりする。

 

 

 

 

 

そんでこれは「記憶学習」と「反復学習」に近い。

やってれば誰でも身に付く。

 

 

 

 

 

だがしかし、

ここに落とし穴がある。

脳みそに騙される落とし穴がある。

 

 

 

 

 

自然より知識ばかり見ていると

 

 

 

こんな面白いエピソードがあった。

 

 

 

昔、ギターが弾ける友達がいて、

一緒に何かの音楽を耳コピしよう

としたのだけれど、

 

 

 

自分と彼の脳みその使いかが

2つにハッキリと別れてたことに気づいて、

それがすごく新鮮で面白かった!

 

 

 

ワタシ、実は、独学とアカデミックの

両方をイイ感じに経験している。

 

 

 

基本的な部分については、

アカデミックな「知識」

を既に学んでいて、

 

 

 

そのうえで、独学を取り入れている。

 

 

 

しかし、その独学も

さらに2つに分かれていく。

 

 

 

独学と言っても、

アカデミックな本から学ぶという点においては、

これは学校的なところで学ぶことと似ている。

 

 

 

例えば、大学は行かなくても、

大学で使う教科書と同じものを買って

自分で独学する、というタイプの独学は、

結局、アカデミックの枠の中から抜け出せていない。

 

 

 

 

もう1つの独学の道とは、

既にある歴史的な「作品」や

あるいは音楽以外の領域(分野)、

あるいは自然の中から、

何かしらのロジックを発見したり、

共通項を見つけて、それを

自分で体系化していくもの。

(こっちの方がより深い意味での独学なの)

 

 

 

 

そんで、話を戻すと、

友人は、100%完全なる独学で、

更に言うと「自然派野郎」でした。

 

 

 

 

昔のワタシとは真逆のタイプで、

本とか読まないし、

アカデミックな知識もなし、

ただ自分の耳だけを使って、

音をそのまま聞き取っていました。

 

 

 

友人は、アカデミックな素養はほとんど無し。

楽譜も読めない。和声もよくわからない。

ただ「自然」から学んでいました。

 

 

 

 

そんでこの相反する2人が

実際に耳コピをしてみたところ・・・

 

 

 

 

面白い結果が出た!

 

 

 

 

 

ワタシと友人で、

誤差が生まれた!

 

 

 

 

そんで、結論を言うと、

ワタシ、間違ってた。

誤差の原因は、ワタシ。

 

 

 

 

「あれ、この音、聞き間違っていない?」

と感じた箇所があった。

 

 

 

 

その理由は、

「アカデミック的になんか変」

「論理的に間違っている」

という箇所があったからでした。

 

 

 

 

最初にアカデミックな知識を入れて、

型を習得し、

ロジックを手に入れると、

 

 

 

 

 

脳みそが怠け始める。

(脳みそのブラインドスポット!)

(盲点が生まれる)

 

 

 

 

「論理的に正しい」

という脳内思考を手に入れると、

「正しいかどうか」を検証できなくなる。

 

 

 

 

 

検証しようとしても、

脳みそが勝手に「偽物の世界」

を補完してくる。

 

 

 

 

脳みそが勝手に、

別の音を補完してくる。

 

 

 

脳みそ

「このパターンが来たら、

論理的に言って、

次の音は〇〇が鳴ることが正しい」

 

 

 

このように、

脳みそがバカになる。

怠け始める。

 

 

 

すると、脳みそは

ファンタジーを見始める。

自然が見せる「ありのまま」を否定し、

脳みその中の記憶を頼りに、

勝手に別の音を補完し始める。

 

 

 

 

 

自然を見続けた友人は、

世界をありのままに観察し、

ありのままに表現した。

 

 

 

一方、知識を得た盲目なワタシ。

ワタシ、自分自身の脳みそに騙され、

そしてファンタジーを生きるようになる。

 

 

 

 

脳みそのブラインドスポット

 

 

 

そんで、これ、

別に音楽だけに関することじゃないんだ。

 

 

人は誰しもみんな、

脳みそが作り出すファンタジーってやつに

騙され続けている。

 

 

 

「え~!そんなのありえない!」

って思う感情は「過去の常識」から

大きく反れたときに起きる。

 

 

 

すると、脳みそは、

そのギャップを埋めようとして、

「勝手にあり得そうな事象」を作り出す。

過去の記憶の海の中から、

自分にとって納得のいく最もあり得そうなデータを

引っ張ってきて、虚構を作り上げる。

 

 

 

 

 

そんで、これは多かれ少なかれ、

誰しもみんな持っている。

 

 

 

 

この盲点を持っている限り、

ワシら、ありのままの世界から

遠ざかっていく。

 

 

 

 

 

もっと自然を見よう

 

 

 

現代人は、いつの頃からか、

いつの間にか、

「知識崇拝」を始めてしまった。

 

 

 

しかもそれは、

現代の情報化時代において、

爆速に進んでいる。

 

 

 

情報を得よう得よう

もっと得よう

 

 

 

 

そして、知識に埋もれ、

知識に操られ、

知識に支配される。

 

 

 

 

正解はいつも自然の中にある

 

 

いつの時代だって、

アカデミックから何かが生まれたわけじゃない。

 

 

 

偉人は自然をありのままにとらえ、

自然から学び、そして何かを生みだした。

 

 

 

 

自然から学んだものが、

後日、書物になり、

学問になりアカデミックな分野へと発展していったのだ。

 

 

 

 

順番が逆なのだ。

 

 

 

 

自然を見ることを忘れ、それどころか、

そんなことは大したことのないような幻想を持ち始め、

知識だけが目の前を明るく照らす希望のように

思い始めたとき、

 

 

 

虚構の世界へ向けて走り出す人生がスタートする

 

 

 

 

ワタシはいつも間違っている。

ワタシは盲目じゃ

ワタシはまだ何も知らない。

ワタシはファンタジー。

 

 

 

 

自然を見よう

もっともっと自然から学ぼう

自然を尊敬し、感謝し、

同時に畏怖の念も持ちつつ、

 

 

 

 

もっともっと

自然と触れ合って、

自然と共に生きていきたい

 

 

 

 

そんな風に思う今日この頃なのです

 

 

 

 

そんじゃ

 

 

 

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