頭の中のおしゃべりを消していく

 

どーも、今朝のワタシ、tiktokでやってる

「ピアノやってる人しかできないダンス」と

キレッキレなダンスに

ハマっておりますです。

 

 

 

 

今日のテーマは、

「頭の中のおしゃべり」

について。

 

 

 

 

ちょっと理由があって2日くらい、

ブログを書きませんでした。

 

 

 

 

 

その理由は、実はもう

半年前から「違和感」

として感じてたもの。

 

 

 

 

その違和感とは

「頭の中のざわめき」

とか「おしゃべり」

とか「ノイズ」

のようなもの。

 

 

 

 

ブログを書いていて気づいたし、

前から改善したいなぁ、

って思ってたことがこの

「頭の中のおしゃべり」です。

 

 

 

 

 

ひらめきと直観

 

 

昔、ふと思ったことがあったの。

 

 

 

 

そーいえば、

「ひらめき」って言ったり、

「直観」って言ったり、

いろいろ言うけれども、

 

 

 

あれって同じものなのだろうか?

ひらめきと直観は別物?

 

 

 

 

そんで、どっかのブログで

誰かが説明していて、

「ああ、なるほろ!」と思ったのは、

 

 

 

「ひらめき」は今既に脳みその中に溜まっている

データとデータを、論理的にたどることなく、

瞬時に結び付ける行為(飛躍していく)

 

 

 

そんで「直観」は自分の脳みその中のデータ

(顕在意識)ではなく、

それより深い部分にある意識と繋がって

新たに得るもの。

 

 

 

 

的な違いを説明していて、

「あぁ!なるほろ!」なと。

おもった。

 

 

 

 

そんでね、ウィキペディア先生的には、

逆で「直観」がなんか既にあるデータとデータを繋げる、

っぽい感じのことを言っていて、

「ひらめき」については、そもそも記事に乗っていなかった。

 

 

 

だから辞書で「ひらめき」を調べてみたら、

「一瞬でまたたく」とか、軽い感じの説明で、

あんまし、深いことは

書かれていなかった。

 

 

 

 

そんでね、

ハッキリしていない部分とか

どっちの呼び名が正しいかとか、

そーゆーことは、どうでもよくて、

 

 

 

 

一番重要なことは、

「すでにあるデータとデータを繋げる行為」

「今の自分が気づいていない(顕在意識に上がってきていない)

新しいデータを顕在意識まで召喚する」

 

 

 

 

この2つの違いを

知ることが大切かなと、

思ったよ

(この2つがより本質的というか、抽象度が高いよね)

 

 

 

 

そんでね、ワタシが日ごろから

違和感として感じてきた

「頭の中のおしゃべり」こそが、

「脳みそ内のデータとデータを繋ぎ合わせる」

という行為なのだ。

 

 

 

 

 

深い自分と繋がる

 

 

 

アウトプットには2種類ある。

 

 

1つは、ひらめきによるもの。

2つは、直観によるもの。

 

 

 

そんで、どっちが正しい呼び方なのか、

定義がはっきりしていないのだけども、

 

 

 

 

僕が何かをアウトプットするとき、

それは「頭の中のデータとデータを結び付けてるだけ」

っていう場合の方が、圧倒的に多い、

っていうこと。

 

 

 

 

つまり、雑音の中から、

1つ1つセレクトして、

繋ぎ合わせて

「はい、新しい何かができました」

と。

 

 

 

 

それは本当の意味での創造じゃない。

 

 

 

 

本当の意味での創造は、

もっと深い意識にある何かに気づき、

それを救い上げて、表面(顕在意識)

へ持ってきて、そしてそれをアウトプットして、

それが自分以外の他人へ伝わり、

やがて何かしらのカタチで現実化していくこと。

 

 

 

それに対して、

既存のデータとデータを

繋ぎ合わせる行為というのは

例えるなら・・・

 

 

 

DJが、既にある曲と曲を繋ぎ合わせて、

「はい、新しいのできましたー!」みたいな。

 

 

 

お惣菜のコロッケと千切りのキャベツを

買ってきて、更に盛り付けて

「はい、夕飯できましたー!」みたいな。

 

 

 

 

既にあるモノと既にあるモノを繋げる。

既にあるデータと既にあるデータを繋げる。

そして新しい想像をする。

 

 

 

 

という感じに近い。

 

 

 

 

 

そしてそーゆー行為自体を否定はしない。

それはそれでいいと思うし、

即席のものでも何かと役に立つし、

世間では受け入れやすい。

 

 

 

 

 

でもね、

それをやればやるほど、

もう一方の世界が見えなくなってしまう

 

 

 

 

 

それは自分の頭の中にはない。

それはもっと深い意識の世界にある。

 

 

 

 

顕在意識にとらわれ過ぎている自分

 

 

 

僕はアイデアとか文章とか、

作曲とか、やりたいこととか、

絵を描くとか、何かを話すとか、

 

 

 

何かをアウトプットウする、

ということに関して、

「何も思いつかな~い!」

ということがほとんどない。

何かしらは出てくる。

 

 

 

*緊張して話せないとか、

頭真っ白で何も出てこない、

っていうのは別ね。

 

 

 

 

そうでない限り、

平常心の時は、

何かしら出てくる。

 

 

 

 

「好きな事わかんなーい」っていう人の気持ちもわからんし、

「何書いていいかわかんなーい」っていう人の気持ちも正直、知らん。

「何も思いつかなーい」っていうのもありえない。いや、何かしら出てくるじゃん・・・

 

 

 

 

 

でもね、それはね、

裏を返せばね、

ワタシの頭の中は、

 

 

 

 

雑音(ノイズ)で埋め尽くされている

 

 

 

 

頭の中のおしゃべりとは、

顕在意識の中のデータ。

 

 

 

あるいはもしかしたら、

潜在意識の中にある

過去からの蓄積かもしれん。

(それは感情と結びついているワタシのとらわれ)

 

 

 

 

そーゆーもので

ワタシは動かされている。

オートマトン(自動人形)となって、

自我(もう一人の自分)が操縦する

世界に留まり続ける。

 

 

 

 

そんな違和感を

半年前ごろから、

何となく感じていて、

 

 

 

 

何かを書いている自分はニセモノで、

本当は言葉を超えた先にある

もっと深い意識を感じたほうがいい、

と思いながら、日々過ごしている。

 

 

 

 

文字は便利だし、

学習や記録としても使える。

 

 

 

でも「そもそも」に立ち返ってみると、

「本当にそれ必要?」という行為が

たくさん見えてくる。

 

 

 

外から知識(データ)を得て、

それを自分で解釈(データを分解、再構築)し、

そしてアウトプットする。

 

 

 

一般的には、

こーゆーことは

素晴らしいことのように

語られている。

 

 

 

 

でも、これは本当の意味での

創造じゃない・・・

 

 

 

*そして、そもそもに立ち返ったとき、

学習や記憶すらも、

逆に邪魔になるかもしれない!

 

 

 

 

ふわふわ系の言葉を使って言うのであれば、

宇宙に繋がるとか、

神があなたという器を通して語るとか、

霊感を得るとか、

 

 

 

そーゆー感じに近い気がする。

 

 

 

 

もうちょっと具体的に言うと、

深い意識の方へアクセスして、

自我の自分では気づけなかったデータを

そこから得てきて、それを

外の世界へ広めていくこと。

 

 

 

たとえば、

歴史上の発明とか、

新しい研究とか、

新しい表現とかって、

 

 

 

 

既にこの世にあるデータとデータを繋ぎ合わせたんじゃなくて、

まだこの世に存在しない未知のものを、

あの世から、この世まで引き連れてるから、

「新しい創造」になるわけで。

(その時点まで、その時代に生きた人々が知り得なかった情報なわけで)

 

 

 

 

そんで、「あの世」って言い方も

ふわふわしてるけども

人によって言い方はいろいろあると思う。

 

 

 

 

幻想の世界とか、

イデアとか、

創造の世界とか、

神の領域とか、

 

 

 

 

いろいろな人がいろいろな呼び方で呼ぶよね。

 

 

 

いろいろな人が直観と言ったり、

いろいろな人がひらめきと言ったり、

そんで定義があいまいで・・・

 

 

 

 

いづれにせよ、

頭の中のおしゃべり(雑音)に

意識が囚われている限り、

その世界から出られないわけで。

 

 

 

 

 

なので、なんか

おしゃべりを辞めたいなと。

 

 

 

 

書くにしても、

知識より、

「感じたもの」を表現する方が、

よっぽど重要なわけで。

 

 

 

 

でもその「感じたもの」を

文章に変換すると、

かなり劣化してしまう。

 

 

 

*アナログデータ(自然の連続性)を

デジタル(言葉)に置き換えた瞬間、

0と1の間の無限領域に存在していた

濃密なデータがまるごと消滅してしまう。

 

 

 

 

それでも、感じたことを書くことは、

知識を書くよりはるかに大切なのだけども、

それでもやっぱり、文章の限界は出てしまう。

 

 

 

そんで、

 

 

 

普通の文章は論理的な説明が多い。

そんなもんは意識が高い人しか読まん。

 

 

 

すばらしい文章は難しいこと言わない。

シンプルで短い。感情に訴える。

子どもからじいちゃんまで、

世代を超えて人の心を掴んでくる

 

 

 

 

そんでもっと素晴らしいのは、

もう言葉すら要らない。

ただ、雰囲気が伝われば、それでいい。

 

 

 

 

それはもう、

感じる世界。

 

 

 

 

だからね、

僕は無駄なおしゃべりを辞め、

更なる意識の深い部分をどう感じ、

どう表現していったらいいか、

そこについて、考えることが増えました。

 

 

 

 

すばらしいなと思うのはこの境地↓

 

ノリ軽く、

心躍りながら、

さらりと宇宙と繋がり、

ふわっと表現する

 

 

 

 

そんじゃ

 

 

 

 

 

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