お金持ちがお金や富を与え続ける理由

 

お金持ちの中のお金持ち。

超お金持ちの中の超お金持ち。

至上最強クラスのお金持ち。

 

 

 

そんな人は、

もう数えられる程度しか

この地球上には存在しないよね

 

 

 

たとえば、

そーだねー

 

 

 

ビルゲイツとか

 

 

 

ヒヨゲイツ

「ハーイ!アイアム、ヒヨゲイツ。」

「ムスカちゃうわ」

「慈善活動やっておりましゅ」

 

 

 

そんな超お金持ちは、

超お金とか超使って、

超富とかを生み出して、

超世界を超豊かにしている

 

 

 

 

なんでそんなに超使うのか?

 

 

 

一般庶民からしたら、

まったくもって理解に苦しむ。

 

 

身銭を切って、

時間も労力も使って、

余のため人のために、

世界を豊かにしようとしている

 

 

 

え?

商売人じゃないの?

お金を儲けている人が、今頃になって、

なぜそんなにお金を使うの??

 

 

 

それともただのボランティアに

転身してしまったの?

 

 

 

 

いったいどーゆーことなの????

 

 

 

 

 

10人の村

 

 

この世界を

「10人しか存在しない小さな村」

に例えてみる

 

 

 

村には10人の人間がいる。そして村には、

生活に必要ないろいろなモノが無い。

みんなは生活にモノがなくて困っている。

 

 

 

そこで、最初の1人がモノを作り出す。

そしてそれを2人目に売る。

 

 

2人目の人はモノが手に入って喜ぶ。

作った人もお金を受け取って喜ぶ。

豊かさが増える。

 

 

そしたら、最初の一人はまたモノをつくる。

今度は、3人目、4人目の人たちのためにも

同じものを作った。

 

 

そして、また、3人目、4人目の人たちに

モノを売って、彼らからお金を受け取る。

村中にモノが増えて、村が便利になる。

作った人もお金が増えて豊かになる。

 

 

 

それを繰り返していくと、

やがて村人10人全員に

必要なモノが行きわたり、

お金も増えて、社会全体が豊かになる。

 

 

 

 

作った人も豊か。

モノをもらった人も豊か。

みんな豊か。

幸せ。

 

 

 

 

がしかし!!

 

 

 

もう、モノを作っても

これ以上は売れない!!!

(供給過多の状態)

 

みんなに必要なものが

行きわたってしまった。

 

 

 

それがまさに

超お金持ちの視点。

 

 

 

そこで最初の一人は考える。

今、彼は村人全員を救い、

村全体を豊かにし、

超お金持ちとなった。

 

 

 

そしてその超お金持ちは、

超お金を使って、

社会を更に、超豊かにしてやろう、

という答えに超行き着いた。

 

 

 

最初の一人は、

たんまり稼いだお金を使って、

村の隣の土地を切り開いて、

お金を使って家を建てた。

 

 

 

沢山家を建ててて、

そんで、そこを無料で貸した。

 

 

 

そしたら、

残りの村人の中で、

誰かと誰かが結婚して、

子どもが生まれた。

 

 

 

村に子どもが増え、

住むところが少なくなってきたので、

さっそく子が増えた大家族は

そっちの無料の家に住み始めた。

 

 

 

そしたら更に子どもが増え、

村は、いつの間にか、

10人から100人にまで増えた。

 

 

 

そしたら、最初のお金持ちは、

村全体を豊かにし、

さらに村を大きく発展させ、

そして今度は、大きく育った村の人々に

さらに便利で豊かに生活をしてもらえるよう、

さらにモノを作って、さらに売ったとさ。

 

 

めでたしめでたし

 

 

 

 

これが超お金持ちの人の世界観なのだ。

 

 

 

 

また、売れる。

またお金を稼げる。

継続できる。

持続可能な社会。

(もちろん、環境問題という別の課題も増えたけどね)

 

 

だからこそ、

お金を使うのだ。

いっぱいいっぱい使うのだ。

みんなのために。

 

 

 

与える金持ちと奪う金持ち

 

 

でもね、実際には、

与える金持ちと、

奪う金持ちの両方がいる

 

 

与える金持ちは、

みんなのために投資する

未来の世界のために投資する

社会を良くするために投資する

 

 

身銭を切って、

自分の時間をかけて、

労力をかけて、

アイデアを駆使して、

頭を使って、

 

 

社会のため、

みんなのために

ずーっとずーっと

与え続けている。

 

 

 

そう、それはまるでジェダイサイド。

 

 

 

 

でも、反対のダークサイドも存在する。

その闇の方に、奪う金持ちたちが住まう。

 

 

 

彼らは常に「失う恐怖」を持っている。

今持っているものを失うことを恐れている。

 

 

 

その心理があるから、

与えるより、奪うを多くする。

 

 

そして溜めた富を独占する。

溜め込んで、外に逃がさない。

出さない。

循環させない。

 

 

 

なぜなら、怖いから。「出したら戻ってこない」という信念。

(そして現代は、ジェダイサイドとダークサイドの2極が目立つ、ものすごい格差が浮き彫りになっている)

*例えば「世界を救う系ビジネス VS 自分を守りたい既得権益構造」 とかね

 

 

 

はい、とゆーことで、

長くなりましたが前置きでした。

 

 

今日の本題はここから!!

 

 

 

 

与える人

 

 

「与える」という行為には、

なぜそれをするかの理由が2つある。

 

 

 

まず1つ目の理由

 

最初のビルゲイツの例のように、

「与えるからこそ、自分もまわりも豊かになれる」

 

 

自分のためだけじゃない、

かといって自分を犠牲にして

他人のためだけにもならない。

 

 

自分=他人

 

 

 

この境地で物事を見る、

ということ。

 

 

 

 

2つの極がバランスがとれた状態

両方がともに豊かになるポイント。

ここを見ている。

(均衡のところに理想郷が生まれる)

 

 

このバランスがとれた状態で与えるからこそ、

自分も他人も豊かになれる。

だから与えるのだ。

 

 

 

2つ目の理由

 

 

「無くなる恐怖」からの解放

 

 

 

与えられないのは、

「与えたら無くなるから」という恐怖が

ベースにあるから。

 

 

 

だから、奪う金持ちたちは、奪い、貯める。

 

 

しかし、このブログでもおなじみ、

ジェダイの教えでは、これの真逆を行う。

 

 

 

与えても大丈夫。

与えても減らない。

常に豊かさは空気のように循環している。

お金は世の中を回り続けている。

 

 

 

ジェダイのお一人、

本田こーちゃんは人知れず「寄付」を行う。

お金があるからするのではなく、

お金がない時から、寄付をし続けている。

(もちろん、寄付だけじゃなく、いろいろな形でずーっと与え続けている)

 

 

 

そもそも寄付というのは、

自分を犠牲にして、

他人のためにするということではなくて、

「自分の持ってる分から、出せる分だけ」

という基本の考えにもとづくからこそ、継続できるのだ。

 

 

 

つまりその基本原則を守りさえすれば、

お金持ちにならなくても、

今この瞬間から誰でも持続可能なことなのだ。

 

 

 

だから僕もそれをときどきやるように心がけております。

だけども、こーゆー話を自分から人前でするとダサいから

あんまし書かないようにしたいです。

(実験してるよってことだけね、そんだけ言いたいのね)

 

 

 

そしてジェダイの大御所、心屋仁之助さんが行う

「神社ミッション」について。

 

 

 

神社ミッションとは:

人知れず、ご利益のなさそうな、

さびれた神社に一万円を

投げ入れるだけの行為のこと。

 

 

 

これは「関連付け」無くしている。

 

 

 

「関連付け」というのは、

「与えること」と「与えられること」

それぞれの間にある関連性を外している。

 

 

また与えることの意味、

与えられることの意味、

これらの意味付けも完全に無くなっている

 

 

 

たとえば、

寄付をするにしても、

意味があるからできる。

 

 

「これをすれば社会のためになるから」

という動機があれば、

寄付もできる。

 

 

そしてまた、

与えることにについて、

関連性が見いだせれば、与えることが(心理的に)簡単になる。

 

 

例えば、

「与える人」から見て、

「ああ、あの人は援助が必要なのだな」

という状況を知ることができれば、

「与える」という理由が生まれる。

 

 

与える人、与えられる人双方に

「与えるという行為」が関連付けられる。

 

 

 

 

がしかし、

神社ミッションには

それらが全くない。

 

 

 

 

 

「なんのご利益も無い神社の賽銭箱」に

「人知れず1万円を投げ入れる」

 

 

 

ここには「与えた見返り」が発生しない。

与える意味も、動機も、何も存在しない。

 

 

それをわかった上で行う。

 

 

 

じゃ、なぜそんなことするの?

 

 

 

それは「2つ目の理由」の最初の言葉に戻る。

 

 

「無くなる恐怖」からの解放

 

 

「与えたら無くなる」

という恐怖を取り除くということ。

(「条件付け」つまり「取引」をしている限り、恐怖は消えない)

(恐怖を消すためには「無条件に与える」が必要)

 

 

そもそも、

恐怖があるから奪い合いが起こるのだ。

恐怖があるから、

溜め込んで使わなくなるのだ。

(さっき言った、奪う金持ちの例を思い出して)

 

 

 

「自分だけが助かればいい」という個人が増え、

そーゆー人たちの集まりとなった社会としては

全体の不活性化が進むのだ(既得権益化が良い例)

 

 

 

そんですべての大本は、

「恐怖」なのだ。

 

 

 

「与えても減らないよ」

「与えても大丈夫だよ」

 

 

という安心を得るには、

最初の例に挙げたビルゲイツのように、

 

 

1.自分と他人がともに豊かになるポイント

を知っておくこと。

 

 

あるいは「神社ミッション」のように、

2.「無条件に与える」ということ

 

 

 

これらは現実世界で存在するのだ。

これらはありえることなのだ。

 

 

 

そーゆーことを知るだけでも

全然、恐怖が無くなっていくのだ。

 

 

 

 

1.自己犠牲は上手くいかない

2.他人を犠牲にするのは上手くいかない

3. 自分と他人が争い合うのは一番うまくいかない

4. 「自分と他人が豊かになる」は唯一上手くいく。

5. 無条件(取引しない)境地は、安心を生む

(例えば、空気とかは、無くならないから安心て吸える)

 

 

 

最後の4つ目と5つ目。

ここを常にフォーカスしていること。

 

 

 

 

これはとても大切なことなんだ、って心に深く思う。

 

 

 

恐怖に支配された権力者も、

社会も、システムも、

歴史を通していつも必ず、

社会全体に悲劇を生み出す。

 

 

 

そのおおもとは一個人の「恐怖」から起こるのだ。

 

 

 

あなたはどっちがいい?

「安心」していられる世界と、

「恐怖」を感じる世界。

 

 

 

自分は常に安心してたいな。

 

 

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