自分自身を神さまのように扱う

 

 

 

 

 

 

まるで自分のことを神さまのように扱ってみる

 

 

 

それは決して、

他人に対して偉ぶったり、

自分が一番と上から目線になったり、

威張ったりすることではなく、

「下々のものたちよ」とか痛いセリフを言って中二病に浸るわけでもなく、

 

 

 

 

「自分の肉体」と「自分の内側の声」と「神さま」と

すべてが大切で、どれも欠けてはならない存在

であることがわかったとき、

「ああ、自分自身も神さまのように、大切に尊重しよう」

という思いが自然に出てくる。

 

 

 

自分が好きなことをして活動できるのも、

健康な肉体があるおかげ。

自分がやりたいことを考えられるのも、

明晰な頭脳があるおかげ。

自分が正しい道を進んでいると信じられるのも、

健全な精神があるおかげ。

 

 

 

 

ぜんぶ、大切なもの。

ありがたいもの。

与えられたもの。

 

 

 

 

もし「自分なんて大したことない」

と思ってしまったら、

「自分を犠牲にしてまで」

「自分が我慢してまで」

「自分をひどく扱ってまで」

何かをしようとしてしまう。

 

 

 

 

睡眠を削ったり、

肉体を酷使したり、

適切な食事や運動をさせなかったり、

楽しみやリラックスを与えなかったり、

 

 

 

そんなことを

自分が自分自身に対して、

無意識のうちに行ってしまう。

 

 

 

 

もし神様がいるとしたらさ、

そんなひどいこと、

神さまに対してやれないでしょ?

そんなこと考えることすらしないでしょ?

 

 

 

だって「神さま」って言っただけでもう、

尊重する対象。

完璧の象徴。

光の存在。

自分を導いてくれるもの。

 

 

 

 

などなど、神さまには、

何かしらの「最高のイメージ」

が自然と結びつく。

 

 

 

ではでは、

自分自身はどうだろうか?

 

 

 

自分で自分のことを

あなたはどう思うだろうか?

 

 

 

 

やっぱり「自分なんてこの程度」

なんていう「枠」はさ、

人間誰しも持ってしまうものだけれども、

(100%枠のない人なんていないと思う)

 

 

 

それでも、

「この程度」と思うよりも、

自分も神さまと同じような存在なのだ、

という風にとりあえず考えてみる。

 

 

 

 

そしたら、だんだんと、少しずつ、

自分で自分のことを

ひどく扱わなくなってく。

 

 

 

 

むしろ、今までよりもっと

丁重に、丁寧に、大切に

扱うようになっていく。

 

 

 

 

けっして、今できる限界を超えてまで、

無茶な贅沢をするとか、

何かを意識して無理やり「丁寧に振る舞う」

ということではなく、

 

 

 

ごくごく自然体のまま、

ありのままで、

自分で自分のことを

神さまのように扱えるように。

 

 

 

 

そんな自然な感じ。

 

 

 

 

それは無理やり方に当てはめたような考え方じゃなくて、

時間をかけて少しずつ、繰り返すからこそ、

それが自然に定着していくのだと思います。

 

 

 

今日も自分が自分へありがとう。

今日も自分が自分へお供え物。

今日も自分が自分を信じます。

今日も自分で自分を崇めます。

 

 

 

 

そんな感じ。

そんじゃ