あらゆるすべてをゆっくりしていく

 

最近、自分の生活のあらゆることを

ゆっくりにしてみる練習

 

 

 

というか、だいぶ、ゆっくりが

定着してきた

 

 

 

食べることも歩くことも

呼吸をすることも

ゆっくり

 

 

 

お皿を洗うときも

ドアを開け閉めするときも

誰かと話すとき

ゆっくり

 

 

 

最初は歩くことをゆっくりに

していたのだけれど、

 

 

 

だんだん慣れてくると、

特に意識をしてもいなくても、

それ以外のあらゆる動作が

ゆっくりになっていきました

 

 

 

そしてゆっくり動いていくと、

だんだん、ふるまいそのものが

丁寧になっていく。

 

 

 

美しく丁寧に、1つ1つの瞬間を

大切にするように、

美しくて大切なものを触れるように

すべてが神秘の時間に包まれるんだ

 

 

 

 

 

移動する時間もゆっくりだから、

いつもより1.5倍かかったり、

あるいは2倍かかったりするときもある

 

 

 

だから、普通に考えてみれば、

時間を無駄にしている、

機械を損をしている、

物事を非効率に進めている、

 

 

 

他にもたくさん

やれることがあるのに、

もったいない!

 

 

 

そーゆー風に思われるかもしれない。

 

 

 

でもね、

ゆっくりでいいのだ

 

 

 

 

いいや、むしろ、

ゆっくりのほうが良いの

 

 

 

 

ゆっくり生きると、

あらゆることが見えてくる

 

 

 

 

ゆっくり動くと、

あらゆることに

知恵を見出す。

 

 

 

 

「他にもやれることがあるのにモッタイナイ!」

と思っていたその中にある、

「他にもやれること」というのが、実は

「本当はやらなくてもいいことばかりだったんだよ」

 

 

 

 

そんな大切なことを

気づかせてくれる。

 

 

 

 

ゆっくり動くと、

効率が悪くなるでしょうね

 

 

 

でもね、

ゆっくり動くからこそ、

今自分が収まっている

小さな枠に気づくんだ。

 

 

 

 

その小さな枠の中で、

自分は毎日、あくせく

せっせと必死になって動いているだ。

 

 

 

その小さな小さな枠の中で

「いかに最大限効率化してやるか」

などと小さな小さな思考を巡らせて、

毎日ぐるぐるしているんだな

 

 

 

 

今自分が所属している枠から1つ抜け出したとき、

もう1つ大きな枠の外に出たとき、

その小さな小さな努力がまるで無駄のように

思えてくるのだ。

 

 

 

だって大きな枠の世界にとっては、

その小さな努力の成果は、

足元にも及ばないのだから。

 

 

 

 

どうせ考えるなら、

デカく、広く、深く考えて生きたい

 

 

 

目先の小銭を追ったり、

小さな利害の中でとらわれ、

貴重な時間を失うより、

 

 

 

ゆっくり構えて、

大きく考えたい。

 

 

 

 

そんな風に思う、

今日この頃です

 

 

 

 

そんじゃ