説得するより共感したい

 

 

なんか最近思ったんだよね。

 

 

 

もっとこう、

雑談ブログ的に、

いろいろ書いていこうかなとか

最近思うたわけです。

 

 

 

 

 

「え?ついに心系のネタが切れたの?」

 

 

 

と思われそうですが、

実はそうではありません。

 

 

 

 

なんか知らんけど、

僕の場合、次から次へと

書きたいこと言いたいことが

沸いてきて「ネタに尽きる」

ということは、ありがたいことに

今のところないのですが、

 

 

 

 

 

なんか、ブログ書いているうちに思った。

 

 

 

なんかたまには別のジャンルのことも

書いてみたいかも。

 

 

 

 

日々、心のことを書いているからこそ

逆にそういう発想になったのだ。

 

 

 

 

つまり、

心について語るとき、

だんだん気が付いてきたのだ。

 

 

 

 

難しい言葉を使って語ること。

偉そうに上から目線で伝えること。

情報を上から下へ流す作業。

知らないから知ってるという状態へ持って行く。

論理で相手を説得する。

 

 

 

 

自分のブログは、

このような類のブログになってはいないだろうか?

 

 

 

 

ただのコンテンツ系、情報系に

なっていないだろうか?

 

 

 

 

そもそも、

自分が楽しく書いているのだろうか?

(まあ、これに関しては今のところ、楽しいです)

 

 

 

 

あのね、本当は、

自分の顔とか生活とかを晒して、

もっと身近な感じにしていった方が

面白いのはわかってるんだけどね、

それは思うところがあって、今のところは、あえてやらないのです。

(恥ずかしくとか、怖くてできない訳ではないのです)

(もしかしたら今後、いきなり、さらけだすかもしれません)

 

 

 

 

顔出ししなくても、

良いブログにしていくことは可能ですが、

 

 

 

でもでも、

心について語り始めたとき、

だんだんと気がつきました。

 

 

 

なんか「学問」みたいな感じで

「正しさ」を追求することのためのコンテンツなら、

マジで書く意味ないなぁ~って思えてきました。

 

 

 

 

だってさ、

本屋行けって感じじゃん?

ウィキペディアとか見て、意識高い系コンテンツ読みなされ!

って感じじゃん?

 

 

 

そんな類のコンテンツを作成することは

誰でもできるし、

機械の方がそういうの得意じゃん?むしろ。

 

 

 

 

心のことを語り始めていくと、

だんだん「人間っぽいすばらしさ」

に少しずつ気づいていく。

 

 

 

 

それってかけがえのないもの、

置き換えできないもの、

たった1つのもの。

 

 

 

そういう類のことに

だんだん興味が出てくるようになる。

 

 

 

で、その人から出てくるその人だけのもの

それを表現することが、

とても大切なことなんだな、って思えた。

 

 

 

 

正しさより共感

 

 

そしたらさ、

「正しさ」とかより「共感」

の方が大切、という世界に入っていく。

 

 

 

そしたらさ、

学問みたいに「こころのこの部分が・・・」

とか区分けしないでさ、

 

 

 

もう、どんな言葉であれ、

その言葉の中に「伝えたい大切な何か」

をちりばめていく。

 

 

まるで作品のように。

 

 

 

何かを正しく理解するのではなく、

それを通して「共感」が生まれることが

とても大切なのだ。

 

 

 

今後、「正しい」を自分の頭の中に溜めることは、

あんまり価値のないこと、という時代になっていくだろうしね。

 

 

「正しい」は機械の脳みそ(サーバー)に溜め込んであって、

それをいつでも取り出せるのが人間なのさ。

 

 

 

人間の仕事は、

常に自分が正しくあることではない。

人間が生きる役割は、この世界で喜んだり、笑ったり、遊んだりして

楽しく過ごすことなのさ!

(これは僕にとっての人間の役割の定義ね。定義は人それぞれ。僕は少なくとも楽しくしたい)

 

 

 

って考えたとき、

「正しさ」の価値は薄れ、

人と「共感できる」ことの素晴らしさが、

どんどん浮き彫りになっていく。

 

 

 

そんで、よりたくさんの人たちと

「共感」ができたとき、

その共感が生み出すパワーはめっちゃ強くなっていく。

 

 

 

 

もしさ、人生設定を「楽しい」とか

「ハッピー」とか「幸せ」とかに設定してさ、

それをさ一人の人と「共感」できてさ、

そんでさ、その次にさ、二人、三人、

もっとたくさんの人達と「共感」できたときさ、

設定したもの(楽しいとか幸せとか)のパワーが

ぐんぐん広がって大きくなって育っていく。

 

 

 

 

それが共感の力なんだなぁって思った。

 

 

 

 

もちろん、

「正しさ」を否定しているわけではないのね。

「正しい・正確」というのは、生きるうえで必要だね。

 

 

 

たとえば、家を建てるとき、

家が平らじゃなくて、2ミリだけズレた。

そしたら家が傾いちゃう。

重いものをたくさん入れる箱だから、

正確に精密に作る、そういうこと、めっちゃ大事!

 

 

 

でもさ、今までの時代、

「正しさ」とか「正確」を重視しすぎたのかもしれない。

正しいことは〇。

それ以外はx

みたいな。

 

 

そんで、自分の心の基準を殺して、

世間が思う「正しい」にみんなが

なんとなく合わせていかないといけない。

 

 

そういうのがずっと続いてきて、

ちいさな違和感、ちいさな我慢がつもり積もって、

だんだん心が壊れていく。

 

 

 

 

まあ、ちょっと拡大しすぎかな?

そんなおおげさに社会について偉そうに語りたいわけではないのだけれどね、

もっと身近な生活においてさ、

 

 

 

「共感」できることが増えると、

イイよね!

ってことなんだわつまり。

 

 

 

共感できることが1つでもあると、

生きる喜びになるもん。

 

 

 

それがたくさんあったら幸せじゃん。

 

 

 

そういう意味で、

正しいを伝えるより、

共感できる何かを伝える、

 

 

そんなことの大切さを

感じたわけであります。

 

 

 

そんなブログにしよう。

 

そう思ったわけです。

 

 

そんじゃ