神様の存在を気にすると良い理由

 

 

神様とかお天道様とか、

そーゆー何かしらの

自分よりスゴイ存在っていうものを、

ぜんぜん意識して生きてこなかったワタシ、

 

 

 

 

だがしかし、年を取るにつれ少しずつ、少しずつ、

そーゆーことに意識を向けるように

なって来ました

 

 

 

 

いや、むしろ、

わけのわからないことをするほど、

結果のわからない世界を進むほど、

そーゆーことへ意識を向けざるを得なくなってきた、

と言った方が正しいのかもしれない・・・

 

 

 

 

そんで、神様といえばさ、、、

その国のその地域の、その家族の

言い伝えとか、伝統とか、

習わしによって、神様的な上の存在を

なんとなく「そーゆーものなんだ」

と受け継いで生きる人が世界中にはたくさんいると思う。

 

 

 

 

でも「そーユーのは知らん」つって

ぜんぜん興味のないまま生きてきた人も

一定数いると思う。

たとえばワタシみたいな。

 

 

 

 

そんでもって、

ワタシ、別に特別な個人的な、

不思議体験をしたとか、

絵にかいたような目に言える奇跡を体験シタ、

とかそーゆー体験は、ワタシの身に

起きたわけではないのだけれども、

 

 

 

 

それでも、ワタシ、

「神様的な何か」の存在を

少しずつ、少しずつ、気にし始め、

そして「そのような存在と共に生きる」

という感覚が少しずつ、ワタシの中に

芽生えてキタ。

 

 

 

 

 

コントローラとアバター

 

 

 

この世界をゲームに見立ててみる。

そして、自分自身は、

ゲームの中のキャラクター(アバター)

のようなものだと考えてみる。

 

 

 

そして、本当の自分は、

ゲームの画面の外にいて、

ゲームの中のアバターである自分を

操っているとする。

 

 

 

 

試しにそんな風に考えてみるのだ。

 

 

 

 

そして、もし

ゲームの画面の外にいる本当の自分が、

神様みたいな存在だとしたら、

 

 

 

 

ゲームの中にいるアバターの自分がその世界を生きるより、

神様視点からアバターを操る本当の自分の方が、

より上手に、その世界を生きられると思うんだ

 

 

 

 

だって神様は絶対の存在なのだから。

 

 

 

 

そーいえば、

ジェダイのお一人「本田こーちゃん」

の師匠様の日本一の個人投資家、

竹田和平さんのお言葉を思いだしました

 

 

 

 

何か目の前の状況に対して、

「天だったらどうするかね」

というメタな問い。

 

 

 

 

もし神様だったら、

絶対に間違いがない選択をすると思う。

 

 

 

 

もし神様だったら、

悪い方へ導かないと思う。

 

 

 

 

だから、自分の中に、

神様基準を持つことは

とっても大切だと思ったんだ。

 

 

 

もし、神様じゃなくて、

自分の中の自我が欲望のまま、

ゲームを進めてしまうと、

きっといろいろな悪い状況へ陥ってしまう。

 

 

 

 

たとえば人間関係が悪くなったり、

大変な状況に巻き込まれてしまったり、

最悪の上に最悪を重ねて更に悪い状況に陥ってしまったり。

 

 

 

 

でもそれはすべて、

自我の暴走によるもの。

(ゲームの中のアバターによるもの)

 

 

 

でももし、神様的な存在がいるとして、

「自分は常に神様と共に生きているんだ」

という意識を持っていれば、

 

 

 

 

神様だったら、きっとこういう風に選択する、

神様だったら、きっとこんなことを言う、

神様だったら、きっと・・・・

 

 

 

 

みたいな感じで、

自分自身をまるでゲームの画面の外側から、

導いてくれるような、

そんな頼れる存在になると思ふ。

 

 

 

 

 

神様だったら、きっと

良い状況へ導いてくれるだろうし、

問題が起こっても、冷静になって、

次はどう動いたら良いかを示してくれる。

そして、その後を光の方へ良い方向へ導いてくれる。

 

 

 

 

そういう風に信じてみる生き方と、

ただ無意識的にその場の状況・環境に自動反応して生きる

オートマトン(自動人形)のような生き方では、

今後の人生に雲泥の差が出てくる。

 

 

 

 

そう思えたとき、

なんだか心がとても落ち着いたような気分になった。

 

 

 

 

だってさ、なんか知らんけど

「神様がいるから絶対に大丈夫」

そんな風に思えるようになる。

 

 

 

 

もちろんね、

何か社会に悪影響を与えるような怪しい宗教とか、

宗教や救済を装って、暴利をむさぼる怪しい団体とか、

自分たちの信仰以外のものを排他的にする原理主義とか、

現実逃避して何も行動しない神頼みだけの人とか、

そーゆー方へ行ってしまう人たちも、

この世界には一定数いると思う。

 

 

 

 

がしかしその上で、それでもワタシ、思う。

少なくともワタシという1つの個人が

「幸せに生きる」という指針をもとに、

神様の存在を信じるのであれば、

きっと良い生き方ができると思うのだよね

 

 

 

別に教典とか教義とか、宗派とか、宗教とか、何が正しいとか、

そーゆーのは興味はないけども、

どんな状況においても、

怒りの状況においても、

不安の状況においても、

混乱の状況においても、

 

 

 

 

自分自身が、

意識的に立ち帰って、

「どうすれば良い方向へ行けるだろう」

ってその瞬間思えること(その瞬間神を召喚すること)

は、とても大切だと思うんだ

 

 

 

今日のお話はね、決して、

深くないよ。

難しくしないよ。

むしろ軽いノリ的な感じよ。

 

 

 

 

「どうすれば楽しく笑って生きられるか」

それを考えるのに、ちっぽけな個人の意識よりも、

目に見えない大きな存在を意識したほうが、

楽勝っしょ!っつーそんだけのお話さ。

 

 

 

そんじゃ