ただ与え合うだけの世界

 

 

 

言霊という言葉があるから、

きっと言葉の力は大切なのだろう。

 

 

 

 

ワタシ、よく「競争したくない」

とか「お金のない世界」とか、

「取引しない」とか、

 

 

 

そーゆー言葉を使ってた。

 

 

 

 

でも、言葉ってほんのちょっと

ニュアンスを変えるだけで、

その後の世界観が大きく変わってしまう。

 

 

 

 

「原発反対!」と「新エネルギー開発」

どっちの言葉の方が、より明るい未来を

感じやすいだろうか。

 

 

 

 

 

「悪の組織の陰謀を打ち砕く!」と「平等な社会を実現するための仕組みづくり」

どっちの方が、より信じやすいだろうか。

どちらが建設的だろうか。

可能性や発展性があるだろうか。

 

 

 

どっちの方が、人々は賛同しやすいだろう。

 

 

 

 

そして、

どっちの方が

「幸せ」だろう

 

 

 

 

そう思うと、

ほんのちょっとのニュアンスで

その後の世界は激変してしまうのです。

 

 

 

それくらい「言葉の力」って

本当に大きいし、

一歩間違えると、危険でもあるなと思った。

 

 

 

すぐには分からないけども、

普段使う言葉を、自分自身に言い聞かせ続けていけば、

やがて僕らの脳内にある「スーパーコンピュータ」の部分、

潜在意識にそれが刷り込まれていく。

 

 

 

一度刷り込まれてしまうと、

僕らが頭を使っても、

刷り込まれた後の世界観を変えることは、

本当に至難の業。

 

 

 

そう考えると、

言葉1つ、選ぶということが、

とても大切で重要な事なんだ。

 

 

 

 

そんでワタシ、

「競争しない世界」とか

「お金が無い世界」とか、

「取引しない世界」とか、

 

 

 

普段から、そんな

言葉を使うようになってたけども、

 

 

 

よくよく考えてみると、

「競争」に意識が向いてしまってるし、

「お金」に意識が向いてしまってるし、

「取引」に意識が向いてしまってる。

 

 

 

 

これは、陰陽の2つの性質を色濃く対立させ、

より「分離」を強調してしまう、

ということに気づいた。

 

 

 

分離とは、思考によって、

「もともと1つである自然現象(ありのまま)

が2つの概念に人間によって意味付けされてしまう」

ということ。

 

 

 

意味付けとは、

いろいろな尺度があるけれども、

「高い・低い」とか「良い・悪い」とか

「すばらしい・ダメ」とか、

そんな感じ。

 

 

 

 

だからねワタシ、

言葉を変えてみた。

 

 

 

「競争しない」「お金」「取引」

こういう概念を、

因数分解的に1つのくくりにまとめ、

概念をさらに1つ上へ抽象度へ上げていく。

 

 

 

そして出てきた言葉が、

「ただ与え合う」

 

 

 

 

好奇心による研究、探求があれば、

競争はそもそもいらない。

 

 

 

取引に関しても、

恐怖が無ければ(安心していれば)

そもそも発生しない。

 

 

 

ただ「お金」に関していえば、

「不平等な富の移転」という負の部分は認めるけれども、

「価値の保存」と「あらゆる豊かさの交換」

という便利な側面もある。

 

 

 

 

こうやって、1つずつ、

細かく見ていくと、

「幸福」という人類共通の答えに向けて、

より「必要なモノ」と「必要でないモノ」が

わかるようになり、

因数分解をしてもっと良い「言葉」へ

集約していくことができるのです。

 

 

 

それはとても良いこと。

 

 

 

「お金」はあってもいいけれど、

それはあくまで、富を交換し、

価値を保存していくための道具。

 

 

 

競争を促すための道具にしたり、

それを取引の道具にしたりしないこと。

 

 

 

なぜなら、その2つはどちらも

必ず「富」と一緒に「副作用」がくっつくから。

 

 

 

*副作用とは、病気、ストレス、環境破壊、

貧富の差など、あらゆる社会問題とセット。

 

 

この副作用は生み出された富と

セットにすると必ず相殺されて0に戻る。

 

 

だから「競争」と「取引」と(それによって引き起こされた)「不平等な富の移転」の3つを取り除き、

最後に残ったモノだけが、

より抽象度の高い概念として、

世界を包括していく。

 

 

 

その残ったものというのは・・・

 

 

 

 

 

 

 

その残ったモノとは、

「ただ与え合う」という世界観。

 

 

 

こう言う世界観を表す言葉として、

「ギフト経済」とか「恩送り」

とかいう言葉があるみたい。

(ワタシ、また1つおりこうさんになったぞい!)

 

 

 

究極のゴールは、

今まで従来の社会のように、

取引して得た分の利益をの一部を、

寄付するとか与えるとかではなくて、

 

 

 

究極のゴールは、

このようのあらゆる富は

取引を一切せずに、

「ただ与え合う」という行為だけで

経済を回していくということ。

 

 

 

 

それから「富を溜める」

という概念も見直さないといけない。

 

 

 

「個人の貯金・資産」という

従来の思考から、

これから来るすぐ目の前の未来では、

そういう古い概念を捨てて、

 

 

 

イメージで言うと、

「みんなの共通の保存庫に、富を溜めていく」

という感じ。

 

 

 

 

富はインフラみたいに

目に見えない形で

世界中に充満させる。

 

 

 

そのようにすることで

個人間でそもそも競争・取引をする

意味自体がこの世から消滅する。

 

 

 

 

僕らはいつでもどこでも、

安心して生きていっていいんだ。

 

 

 

誰一人も取り残されないこと。

誰一人も上下に分けないこと。

誰一人孤独にならないこと。

 

 

 

あ!

 

 

 

間違ったw

言葉のニュアンスを変えないと。

「言霊」超大切!!

 

 

 

誰もがみんな、安心していること。

誰もがみんな、平等であること。

誰もがみんな、居場所があること。

 

 

 

これこれ!

 

 

 

言葉って本当に大切だね。

 

 

 

誰かを無理やり変えることはできないし、

変えようともしない方が良い

なぜなら、その行為もまた、副作用を生み出してしまうから!

 

 

 

 

だからね、ワタシ一人からでも、

いきなりは難しいかもしれないけれど、

少しずつ、少しずつ、出来る範囲から、

勇気を出してこういう世界観になれるよう、

「そういう在り方」で生きていく。

 

 

 

誰も強制しないけど、

たまたまこのブログ記事を目にしてしまった

どこかの誰かが、自分から自発的に、

同じような世界観へ進むのであれば、

そーゆーのが一番いい。

そーゆー無為自然の状態が一番いい。

(この世界にもろもろの副作用を生むことは無い)

 

 

 

理念もイデオロギーも思想も、

この世界を善悪という2つに分断してしまうくらいなら、

そんなものも必要ない。

 

 

 

 

何も主張しない。

誰もコントロールしない。

何も変えようと思わない。

 

 

 

 

ワタシはただ自分の思った通りに生きるだけ。

そういう風に、思った次第。

 

 

 

そんじゃ