変わらないって素晴らしいこと

 

 

我々は日々、改善しなければならない

 

昨日より今日は一歩成長していなくてはいけない

今日より明日もまた、一歩成長しなくてはいけない

 

 

 

自分自身を常に

アップデートし続けなければいけない

 

 

社会にイノベーションを

起こし続けなければいけない

 

 

 

「それが進歩なのだ!人類が進むべき道なのだ!」

 

 

 

 

 

たしかに、改善したり、

成長したり、

効率よい方法を見つけたり、

 

 

そーゆーのって

大切かもしれないけどね、

 

 

 

この世界の全員が100%みんな、

その世界観で生きていたら、

きっと大変なことになろう・・・

 

 

 

 

改善の先にある死

 

 

 

 

 

この世のあらゆるすべてを

改善し、改良し、

アップデートし続けてることが

この「世界の最優先事項」だとしたら、

 

 

 

 

この世界は、絶えず揺れ動く

浮島みたいな存在だ。

 

 

 

変化の上に変化を重ね、

留まることなし。

 

 

 

絶えず動き、

絶えず形を変え、

目まぐるしいスピードで

すべてが更新されていく。

 

 

 

 

「さあ、ここに住めるのは今日までだよ。

崖がまた少しずつ削られてしまうよ。

明日にはこの家は谷底へ堕ちて無くなっているだろうよ」

「さあ、またどこか、安定した場所に引越しをしなくてはいけないよ」

 

 

 

改善の先にあるのは、

「そして最後には誰もいなくなった」の境地。

 

 

 

 

たしか今は亡き経営の神様、

ピータードラッガーが残した言葉に隠されていたのは、

「改善の末の死の世界観」なのだ。

 

 

 

 

効率化を進めていくその先に、

効率化される対象そのものが、

最後には消えてなくなる。

 

 

 

 

それは言い換えればすなわち、

「効率化する目的そのもの」

消えてなくなる瞬間だ。

 

 

 

 

 

 

変わらないことの良さ

 

 

 

変わらないことって案外、悪いことじゃないのかも

 

 

 

変わらないこと

古いこと

 

 

 

現代人は、そーゆーのを

毛嫌いし、

少しでも成長しようと、

少しでも良くしようと、

少しでも改善しようとして、

 

 

 

新しい方を〇

古いものをx

 

 

というような考え方に

陥ってしまっているのかもしれない。

 

 

 

でもでも「変わらないこと」

ってゆーことも

それにはそれなりの理由、

「素晴らしいステキポイント」が

あったりするのだ。

 

 

 

 

 

昔から同じことを

ただ繰り返す

 

 

 

同じやり方

同じ価値観

同じ仕組み

伝統

文化

風習

習慣

 

 

 

変えることなく

繰り返す

 

 

 

 

変わらない

変えれない

変わろうとしない

 

 

 

それは一見すると、

「怠惰」に思えてしまう。

「思考停止」にとらえられてしまう。

「悪しき既得権」として見られてしまう。

「動きの鈍い古い体制」とさげすまされる。

「腐敗した権力」となってしまう。

「たいくつなもの」と風化してしまう。

「当たり前のモノ」と化してしまう。

 

 

 

もちろん、良い面悪い面、両方の見方が

あるのは当然のことだろうけれども、、、

 

 

 

だけども、それらの考え方を

180度真逆にひっくり返すと、

そこにはまた、それだからこその素晴らしい世界が

確立されていたということに気が付く。

 

 

 

 

「盤石であること」

「絶対に揺るがないこと」

「安定していること」

「大勢を守ってくれる存在であること」

「世の中の急激な変化を和らげる機能」

「大衆が安心と信頼を寄せられる『大きな木』のような存在であること」

 

 

 

 

 

 

「変わらない世界」

「古い世界」

 

 

 

これらがベースにあるから、

 

「変わる世界」

「更新する世界」

 

 

が上手く成り立つ。

上手に機能する。

 

 

 

 

 

古い世界なしに新しい世界だけを語ることはできない

 

 

 

この2つ要素の割合は、

それぞれのコミュニティ、組織、システム、

あるいは(国)によって、

バラバラなのだけれども、

 

 

 

絶対にベースとなる古い世界は、

切っても切り離せない。

 

 

 

まるで目に見えない空気のような、

当たり前の存在となってしまった

古い世界のありがたさに気づくとき、

 

 

 

僕らはもっとスムーズに、

次の新しさをマイルドに丁寧に、

ソフトランディングに取り入れていくことができるのだろうね。

 

 

 

そしてもちろん、

僕らは全員、それぞれがいる場所で、

自分を正当化するための

「ポジショントーク」をしているだけにすぎない。

 

 

 

どっちの世界が良くて、

どっちの世界が悪いかは、

その人がいるポジションで、

180度変わってしまう。

 

 

 

 

古いものを悪しきものと認識するとき、

自分自身が同時に、その古き者の恩恵の上に

成り立ってきたという過去の事実そのものを否定することに

必然的になってしまうのだ。

 

 

 

また自分以外の第3者から見て、

自分自身が古い体制の上に成り立っているとき、

自分自身でそれを手放したいとは思えないのが人間なのだ。

 

 

 

 

アフリカ人

「おい、みんなフェアトレードしてくれ!」

 

 

 

 

強いポジションの国の人たち

「コーヒーが高くなるから嫌じゃ!」

 

 

 

 

 

それがこの相対的な世界の事実。

良いも悪いもその人のポジションから見た

「主観」でしかないのだね

 

 

 

 

であるならば、一個人としては、

常に世界の「良い部分だけ」を

見続け選択していきたいし、

当たり前と化した部分の

ありがたみに気づけるようになっていきたいものです。

 

 

 

 

うーん、深いのぅ。

ありがたいのう。

 

 

 

 

そんじゃ。