思考を捨てる勇気と神秘の「なんか知らんけど」の世界

思考しない人はこの世で盲目に生きるのではなく、

思考しない「方法」を選択して生きることを選んだ者である。

この記事は、昨日のブログ

「ノウハウより在り方が重要な4つの理由」

の続きじゃ

昨日の記事では、

ノウハウを覚えるより、

「思考した方がめっちゃ大事!」

とか書いたけど、

あれれれ?

昨日と言ってること真逆じゃん?

バカなの?おっ死ぬの?

とか思われるかもだけど、

今日は「思考しないことの神秘」

について書いていこうと思う。

昨日のブログ記事はあれはあれで、

1つで完結していて、

今日話す記事の内容も

1つで完結するようになってる。

そんで、どっちも矛盾はしてなくて、

ぜんぜん違う考え方は、

それぞれの個々人の状況によって

使い分ければいいわけで。

そして世の中のことをまだまだ全然知らない

おこちゃま心な僕は、結局、

1記事1記事、こうやって書きだして、

1つ1つ階段を登っていくように

解釈していかないと気づきを得られない

(きっと天才は、一瞬で最適解に到達できるのです)

「思考は大事!」と1つ飲み込んだからこそ、

さらに上の「思考しない世界」が

少しずつ見えてくるわけで、

そして最近、薄々、気づき始めてきたんだけれど、

今日書く内容には、更にその先があって、

今後は「文字」という媒体、

つまりブログで説明すること自体が

きっと難しくなるし、そもそもそれをする意味が無くなっていくだろうな、

と少しずつ気づき始めている自分がいたりします。

それでも出来る限り、

ブログは書いていきたい。

自分の学びや気づきのためにも。

「思考しない神秘」

僕はこれをこんな風に名付けてみた。

その名も、

ブラックボックス・エンジニアリング

これはこのブログでもおなじみ、僕が深く尊敬する

ジェダイの教えにある

「なんか知らんけど」の世界観に

大いに影響され、魅了され続けたことで、

より明確に言語化できるようになってきた、

とそんな風におこがましくも思っているのでございます。

まず初めに、

ブラックボックスとは、

「中に何が入っているかわからない箱」

のことを言います。

世の中にある「仕組み」とか「システム」というものは、

「手順があり、決まった結果が出る」

という1つの法則性が成り立っています。

たとえば「スマホ」(これも1つのシステム)で

ユーチューブのアイコンをクリックすれば、

動画が再生される。

みたいな感じで、

この一連の流れは、いつやっても

必ず同じ結果になります。

これが仕組みとかシステムの役割です。

毎回必ず、同じ結果になること。

ところが、僕たち一般人は、

いったい、どういう仕組みで、

どういう理屈で、このスマートフォンという物体が、

動画という「映像」を自分たちに見せてくれるのか、

という「仕組みの中身」については、

ぜんぜんわからなかったりします。

専門家じゃない限り。

仕組みの中身がわからないこと

これをブラックボックスと言います。

中の仕組みは分からないけれど、

電子レンジはモノを温めてくれるし、

中の仕組みは分からないけれど、

車は走ってくれる。

そんな感じ。

そんで、僕は思いました。

きっとこの箱の中には、

小さな妖精さんたちがたくさんいて、

僕らが見ていないところで、

一生懸命働いてくれている。

その結果、モノを温めてくれたり、

遠くまで走ってくれたり、

そーゆー「毎回必ず同じ結果」が得られるのだと。

そこで僕はこの小さな妖精さんたちを

「オートマトン」(自動人形)

と名付けました。

(ブラックボックスの中で一生懸命働くオートマトンの妖精たちの図)

ブラックボックスの中では、

オートマトンたちは、

いつも必ず同じように働くので、

僕たちは安心して結果を待つことができます。

彼らはいつも必ず同じように働くので、

まるで自動人形のようなのです。

まるで自動人形のように、

決まった結果の仕事をするので、

思考がいらないんです。

だから

オートマトン(自動人形)

なのです。

そして、

このブラックボックスの中で、

オートマトンたちが働き出すと、

何かしらの恩恵が生まれます。

この恩恵が生まれる仕組みを

ブラックボックス・エンジニアリング

と名付けることにしました。

次は、このブラックボックス・エンジニアリングの

1つの大きな例をご説明します↓

ネットはブラックボックス・エンジニアリング

はるか昔、

神となった人が

「なんかアレコレ便利な箱出来ろぉ!」

と叫び、この世界に

コンピュータ

お造りになられました。

がしかし、その直後、

神である人は叫びました。

「なんか、1個じゃさみしいから、もっと箱とかできろぉ!」

とお叫びになり、

最初のコンピュータを元に、

もう1つ別のコピーをお造りになられました。

コンピュータが2つになりました。

そして、最初のコンピュータと

2代目のコンピュータとの間には、

「繋がり」が誕生しました。

そして、その後もコンピュータは増殖をし続け、

たくさんのコンピュータ同士の繋がりができ、

この繋がりはどんどん太く大きく、成長し、

やがてその繋がりは

「ネット」と呼ばれるようになりました。

このネットはやがて

「ブラックボックス化」しました。

やがてブラックボックスの中に

「エンジニア」という属性の

小さなオートマトンの妖精たちが宿り始めました。

彼らは、ブラックボックスの中で、

次々と「恩恵」を生み出しました。

それは「オープンソース」と呼ばれました。

(オープンソースとは誰もが無料で使えるネット上に公開されたプログラムのこと)

最初の世代のオートマトンたちは、

それの誕生を心から喜び、

この生まれたばかりの「オープンソース」を

大変可愛がりました。

このオープンソースはやがて成長し、

17歳ぐらいになったころ、

ふと旅に出ました。

そしてやがて旅先で、

メスのオープンソースと出会い、

やがて恋に落ち、結婚し、

そして子供を産みました。

やがてオープンソースの子孫が増え、

村ができ街ができ、やがては大きな国になりました。

オープンソースの人口が100万とか、なんか知らんけど、とにかくすごい増えました。

そしてあるとき大きな変化が起こりました。

かつて「オートマトン」たちによって生み出された

「恩恵」であった「オープンソース」は

世代交代を繰り返し、フリーザ並みに形態を変え、

より巨大に力強く進化していきました。

そしてついに1つの巨大なオープンソースそのものが、

1つの大きなブラックボックスへと成長したのです。

そしてライブラリとかアプリとかAPIとか、ソフトウェアとか、モジュールとか、

なんかよくわからんいろんな形態に進化していきました。

そしてそのオープンソースの中で、

またさらに小さなオートマトンの妖精たちが生まれ、

その中でさらにいくつもの「恩恵」を生み出していきました。

そしてやがて、時代を超え、ネットを超え、

この「ブラックボックス」により、

無数の恩恵が生まれました。

それがスマートフォンに形を変えたり、

スマートフォンの中で動くアプリに形を変えたり、

ゲームになったり、ロボットになったりAIになったり。

やがて社会がIT化という大きな世界観に生まれ変わったり。

そんな感じで、オートマトンたちが

勝手に働き、毎回必ず同じ結果(恩恵)

を生み続けてくれていますし、更に増殖を繰り返し、

より巨大な恩恵も産み出し続けています。

毎回必ず同じ結果(恩恵)があるから、

安心して、ほっておけるのです。

ほったらかしなのです。

だからその部分においては、

「思考」しなくて済むのです。

地球そもそも「ブラックボックス・エンジニアリング」説

さあこの記事のタイトル通り、

「思考を捨てる勇気」

本筋に入ってきました。

一般常識で考えると、

思考はめっちゃ大切なことに感じます。

ただ与えられた仕事よりも、

思考して、自分なりに考えて、

平均以上の結果を出すためにも

思考をしろ!

っていう世界観。

すっごくよくわかります。

でもでも、

とうとうそんな常識すら、

疑ってかかるときが来てしまったのかもしれません。

思考することすらも、

勇気を出して捨て去る時が、

来たのかもしれません。

複雑系と言う物理法則がある以上、

僕たちは確証することも出来ないし、

たぶん立証することも不可能だし、

今後も未来永劫、されることも無いだろうけれども、

この地球全体、まるごとブラックボックス・エンジニアリング説。

「ななななーんとぉ!!」

実は僕たちが、

ブラックボックス「地球」に住む

オートマトンの妖精だった説。

「ななななーんとぉ!!」

僕たちは、

少し頑張りすぎているのかもしない。

自分でなんとかしようと、

アレコレ全部自力で

解決しようとしているのかもしれない。

僕たちオートマトンの妖精は、

ブラックボックスの中で

一生懸命に頑張って働いている。

だけれども、

僕たちだって、

ブラックボックスの恩恵を受け取りたい。

受け取っていいはず。

だってこの地球がまるごと

恩恵を生み出す、

ブラックボックス・エンジニアリング

として機能しているのだから!

この地球と言う

ブラックボックスは、歴史上、

ほぼほぼ、あらゆるすべての可能性を

これまでに生み出してきた。

国も法律も飛行機も

コンピュータも畑も

車も船も金融も文学も

ロマンスも幻想も、

思想も宗教も工学も、

チョコレートアイスも、

ありとあらゆるすべてを

ブラックボックス地球は

産み出し続けている。

この何でも発生する装置から

自分が得たいものを手に入れようとするとき、

自分自身がオートマトンの妖精になることを

辞めなければならない。

自分自身は受け取る側として、

オートマンの妖精たちに

お願いをするのだ。

そして、お願いをしたら、

後はすべて、

このオートマトンの妖精たちに

すべてお任せするのだ

それが思考を手放す

ということ。

仕組みはわからないけれど、

どういう原理でどういう手順で

そうなるかはわからないけれど、

すべてをオートマトンの妖精たちに

ゆだねて任せて預ける。

逆に、思考を手放さないでいると、

それが不可能になる。

なぜかって?

思考とは「我」の表れなのだ。

我の表れとは執着なのだ。

もっとかみ砕いて言うと、

「思考」しているときは、

「自分で結果をコントロールしようとしているとき」

自分でどうにかこうにか、方法論を見出し、

それを試してみようとか、挑戦してみようとか」

そーゆー思考パターンになる。

それって言い換えると、

自力ってやつ。

それとは反対に、

オートマトンの妖精の作用を

ここでは他力と説明する。

自力と他力は光と影のようにセットの関係だから、

自力が強い時、他力は弱まる。

たとえば、具体的に説明すると、

もし24時間のうち、一日のほとんどを

自分の仕事のためにすべてを自分一人で

行っていたとしたら、あなたは

他人と触れ合う時間が相対的に減っていく。

ゆえにその後の人間関係の発展性も無い。

他人と触れ合う時間が無ければ、

他力が生まれる原因が発生しない。

一人で頑張り続けるとは、

そーゆーことなんだ

誰にも頼らないとはそーゆー世界なのだ。

一人で頑張っているとき、

鬼のように思考している。

めちゃめちゃ思考している。

人一倍、人100倍、1000倍、思考している。

なぜかって?

自分が思考しないと何も解決策が生まれない、

と信じているから!

自分で道を切り開かないと

何も変わらないという世界観を信じているから。

そうそう、ここにも信念が隠れていた!

(信念は突き詰めていくと、幻想なのだ)

そう信じているとき、

それ以外の道を考えられない。

その道についてはモーレツに思考しているけれど、

それ以外の方法についてはモーレツに思考を停止している。

(そーゆー構造上の罠にハマる)

↑*【重要】思考とは「世界を2つに分断してしまう問題点」も同時にそれ自身に内包しているのだ。

だから、今までの自分の中の常識では、

オートマトンの妖精とか地球がブラックボックスとか、

そーゆー世界観は「ありえない」存在なゆえ、

気づけないのだ。

(僕自身、なかなかそれに気づけなかった)

なんつったって、

妖精さんだからさ!

目に見えないのだ。

でもたしかにいる!

この世界は優しくて素晴らしい世界だ!

そしてこの世界には美しい妖精さんたちがいる!

そんな風に信じている心が清い人は

実生活の中で、オートマトンの妖精の存在に気づいている。

だがしかし、

出来る限り働きたく無ェ、

戦いたく無ェ、

競争したく無ェ、

がんばりたく無ェ、

あくせくしたく無ェ、

好きなことだけして豊かに生きてェ、

好きなだけ寝てェ。

チョコレートアイス食いてェ

え?

出来ないくらいなら、おっ生きるか。

くらいに思っている、

ゲスの極みワタシは、

底辺思想から出発して、

ようやくここへたどり着いた・・・・w

「思考」し続けたゆえ、

「思考しない」の状態が「思考する世界」を内包する、の解にまで手が届いた

(こんなところにも「何もしない教」の性質が隠されていた!)

そして自分自身を通して、

小さな出来事から大きな出来事まで、

たしかに「なんか知らんけど」の神秘を

これまでに体験してきたことも事実あったのだ。

思考を手放す勇気

ただ、今回の記事では体験ではなく、

限りなく論理的に説明を試みている。

(妖精とかいう言い回しはおちゃめな例え話ね)

思考を手放すとは、

言い換えると「他力」に任せること。

そんでもってね、ブラックボックス地球は、

ネットの世界よりも「正確性」が欠ける。

ときどき、妖精さんたちの仕事の結果に

「あ、コレジャナイ」感

が出てしまう時もある。

「いや、頼んだのそれじゃないし・・・」

的なやつ。

「カフェオレ頼んだのにカフェラテ出てきちゃったよ!」

(さま~ず三村風)

的なやつ。

でもでも、

そこでブラックボックス・エンジニアリング

のエンジンを止めてはいけない。

(期待しない、落胆しない、失望しない)

そのままエンジンを回し続けるんだ。

1つの結果は、次の燃料として、

回し続けると、

今度はそれが1つの過程に変化する。

するとそれが2つ目の結果を生み出す。

そしてそれもまた、ブラックボックスを動かす

燃料として投入し続けるんだ。

そして2つ目の結果もまた過程となり、

3つ目を生み出す。

ブラックボックス地球から

産み出される恩恵の結果は

こうやって少しずつ何度も何度も

トライアンドエラーを繰り返して、

結果の精度を高めていく。

だがしかし、

そこにも「我」を入れないし

人をコントロールしない。

この結果の精度を高めていく要素は

その都度受け取る恩恵に

「感謝」することで精度が上がっていく。

全部まかせる。

全部喜ぶ。

全部感謝。

結局、その繰り返し。

結局、でもでも、

そっちの方が、

最初に願っていた理想より、

遥かに良いものになったりする。

だってさ、ブラックボックスを

動かしているは自分じゃなくて

自分以外の誰かなんだ。

人間はロボットじゃない。

コントロールでもないし、ルールでもない。

どこかの誰かの働きには「感謝」をすることで、

やがてそこに自然と磨きがかかってくるんだ。

そして僕自身が心から感謝を肌身で感じていなければ、

誰かの思考を信頼できない。ゆえに、

自分の小さな思考に執着し、それを手放すことができない。

すっげーかみ砕いて言うとね、・・・・

思考しない・捨てるとは、

つまり自分の思考すらも

他人にアウトソースするのだ

アウトソースされた先の他人が、自発的に思考をし、

その他人の思考を元に、別の他人がそれをノウハウ化し、

それがまた別の誰かの手によって実行され、

やがて成果物として出てくる

(こっちは昨日の記事で書いたプロセス↑)

ここまで理解した後、僕は忘れかけていた

すっごーい大事なこと

を今、モーレツに思い出してきている。

あわわわわ、自分。

思考なんかしてる場合じゃねーわ!!

もっともっと

大切なことあるじゃろぉおおお!!??

忘れてるじゃろぉおおおお!!!??

そして思い出し切ったとき、

僕は考えることを捨て、

論理を捨て、

言語を捨て、

我を捨て、

思想を捨て、

アレコレ捨て去ったあと、

何かが残る。

次の世界への扉へは、

その「残った何かだけ」しか持って行けない

*その先に進むとき「言葉で伝える」ことの意味がだんだん無くなっていく。

僕はまた1つ勇気を出す時がきたのかもしれない。

つづき→思考を捨てた先の世界