今この瞬間を生き、理想の未来を見続けること

 

 

 

今この瞬間の連続が未来。

 

 

今この瞬間をワクワクで埋めるか。

それとも、

今この瞬間を苦しみで埋めるか。

 

 

 

 

今この瞬間が未来になるのなら、

今この瞬間を常に、

ワクワクで埋めていきたいYO

 

 

 

 

ソフトランディングとハードランディング

 

 

 

 

感情や感覚のコントロールは、

辛い道でも、楽しく進めるようにしてくれる。

 

 

 

がしかし、理性と論理は、

そもそも辛い道にならないように、

あらかじめ道をソフトに舗道してくれる。

 

 

 

 

そんで、この2つはどちらも

合わせて使ったほうが、

楽じゃね?

 

 

 

とゆう単純な話。

 

 

 

部屋の掃除問題

 

 

部屋の掃除をしない。

そんな時間はない。

だって、今この瞬間が楽しいから!

そんな掃除なんかしてる時間ないよ!

 

 

 

今この瞬間が楽しい。

ワクワク!

その連続!

 

 

 

そして、部屋はゴミが溜まり、

ホコリまみれになり、

ダニなどの虫が湧く。

 

 

 

それでもなお、掃除はしない。

だってそんな時間ないよ!

今が楽しければそれでいいよ!

今ワクワクだからさ!

 

 

 

 

ホコリまみれの部屋で、

ついに病気になり、

体を壊す。

 

 

 

病気になったけど、

今この瞬間が楽しいからそれでいいよ!

もう楽しくて仕方がないよ!

ずーっとワクワクだよ!

 

 

 

病気になったけど、

それはそれで、今の状況で、

楽しめることを探して、

そんで常にワクワクでいるよ!

 

 

 

そして、ワクワクのまま、

体は弱っていき最後は、

楽しい感情のまま、

死を迎える。

 

 

 

 

感情のコントロールだけで、

人は幸せに生きることができるのだ。

 

 

 

たとえどんな状況にいようと、

どんな環境にいようと、

感情のコントロールだけで、

人は幸せになれるのだ。

(感覚器官と感情はコントロールできるのだ)

 

 

 

 

がしかし、

コレ、、、

ハードモードじゃね?

(=持続可能じゃなくね?)

 

 

 

理性って大切。

論理って大切。

 

 

 

 

もし、別世界で生きるのであれば、

理想郷の中に入ったまま生きればいい。

そしてそれは良いことでも、悪いことでもない。

 

 

 

 

もし、この現実世界で、

この物質と肉体がある地球という世界で、

寿命が来るまで、楽しく遊びたいのなら、

理想郷ではなく、現実を選択して、生き続けることになる。

そしてそれは、良いことでも悪いことでもない。

 

 

 

どちらでもいいのだ。

自由に選べばいいのだ。

 

 

 

 

でもさ、人って、どうせ死んじゃうじゃん?

 

 

 

 

ならさ、

生きてるうちは「現実世界」にフォーカスしていたいし、

その現実でどうやったら、死ぬまで楽しく

生きていけるか、っていうことを考えたいね。

 

 

 

 

そもそも辛くしなくていいこと、

わかりきってること、

つまり、わざわざ崖モードに突入しなくても、

あらかじめ、それを防ぎ、

絶えずイージーなモードを保ち続けること。

 

 

 

 

それには、

論理も大切。

ってことさね!

 

 

 

つーことは、

どうしたって持続可能性について、

意識が向いちゃうよね?

 

 

 

 

例えば、

あ、部屋が汚れてきたな?

 

 

 

そんじゃ、ちょっと掃除すっか。

 

 

 

あ、キレイになった!

また、好きなことしよう!

 

 

 

このループ。

 

 

 

このループは持続可能な環境を保ち続ける。

 

 

 

 

 

「掃除」が好きかどうか問題

 

 

 

掃除というのはあくまで例え話。

 

 

この「掃除」を「好きじゃないこと」

に置き換えてみるといい。

(厳密には、イコールじゃないのだけどもね)

 

 

好きじゃないことを我慢してすることは、

体も心も壊す。

何も良いことはない。

 

 

 

「好きじゃないこと」はしなくていいけど、

「しないと問題が発生すること」

は、問題の対処をする、という考え方。

 

 

 

問題をそのままにしても、

感情のコントロールだけしていけば、

常に幸せでいられる。

(そう、たとえ、火の中にいたとしてもね)

 

 

 

 

でも、明らかにわかっていること、

対処できることを対処すると、

「気持ち良い状態が持続可能」であるのであれば、

それを作ろう、という新しい意識が芽生えてくる。

 

 

 

そんで、そこには「理性」が必要だ、

ということに気が付く。

 

 

 

ああ、理性を使えば、

ソフトランディング。

問題は起こらず、ずーっとゆるい道を

進んでいける。

 

 

 

「掃除が好きかどうか問題」は

実際に、掃除が好きかどうかということよりも、

「気持ちよく生きていける持続可能性」と「そうではない世界」

を天秤にかけて、

前者の方に意識が向いているかどうか、ということが重要なのだね。

 

 

 

 

その状態のときは、

「問題は問題と感じていない」

 

 

 

「え?別に掃除するよ?」とか、

あるいは、

「え?別にお金払って掃除してもらえばいいじゃん?」

みたいな。

 

 

 

ソフトランディングでイージーな道を続けるには、

理性と感情がバランスよく、

保ち続けることのように思うよ

 

 

 

 

もし、たとえハードな道に突入してしまって、

それでもなお、感情をコントロールさえできれば、

本人はその道をハードと感じないかもしれない

むしろ、そんな辛い状況の中でも、

本人はハッピーで生き続けられるかもしれない。

 

 

 

 

がしかし、

わかりきってるハードな道があったとして、

わざわざそこに突入しなくてもよくね?

 

 

 

って話。

 

 

 

わかりきっていること。

対処できること。

それをすることで、

イージーな世界が保てるってわかりきってること。

 

 

 

それを保つことを理性でわかるのであれば、

人は、自然とそこへ意識が向くのだ。

 

 

 

 

そしてそれを意識するのが好きな人が

そのうち出てくるのだ。

 

 

 

 

なぜなら、そーゆーひとは、例えるなら、

6.0くらいの視野が無いと

見えないような遠い遠い景色が

デフォルトで普通にみえちゃうからなのかもしれない

 

 

 

 

今この瞬間を生きることと、

未来を見ること

 

 

 

この2つは相反するかもしれない。

 

 

 

今この瞬間、好きなことを選び続けることはできる。

 

 

 

それは、そのとき、その時代、その状況、その環境の中で、

与えられている選択肢の中で、

好きなことを選ぶ、という意味なのだ。

(そーゆー意味でいうと、厳密には、人はみんな、

自分ができる範囲で好きなことを絶えず選び続けているのだ実は)

 

 

 

 

がしかし、その枠が小さくなればなるほど、

自分の外の世界は、だんだんハードモードになっていく。

(そんなとき、自分の内側をがんばってイージーモードに調整していかなければいけない)

 

 

 

 

がしかし、そんなこと、

わざわざしなくてもいいよね

(って2回目)

 

 

 

 

 

ということは、広い意味で、

「今この瞬間、自分が選びたい方を選び続けることができる」

という人類の特徴がある。

 

 

 

 

そんじゃ、

その「選びたい方」という変数に

「ワクワク」とか「楽しい」を代入することはできるし、

(感情や感覚のコントロール側)

 

 

 

その出力結果が、

「持続可能な未来」という答えに

あらかじめ設計することも可能じゃん?

(理性・論理側)

 

 

 

 

平たくゆうと、

楽しく掃除して、

そのあとも、

楽しく好きなことスッペ。

 

 

 

 

つー、そんだけの話だったwwww

 

 

 

 

 

そんでそれが、相反しない「第三の道」

かと思われ。

 

 

 

 

そんで、実は、

みんなこれを自然にやってる。

 

 

 

規模の大小、ジャンルは違えど、

人はみんな、無意識に論理的にバランスを取って、

生きているはず。

それがどんなに理想郷にいたい、と思った人だとしてもね。

 

 

 

論理を使わないで生きている人なんて、

見たことないからさ・・・。

(実際に、生きられないでしょ、そんな人。もし仮にいたとして)

 

 

 

腹減ったら飯を食うし、

病気になったら薬飲むし、

赤信号で車が猛スピードで走ってるのに、

急いでるから、と言ってわざわざ突っ込まないでしょ?

 

 

 

大なり小なり、みんな論理の中でちゃんと生きているのだ。

 

 

 

そんな中ね、

好きなことと、そうでないこと

理想見続けることと、現実を生きること

 

 

現実世界のありのままをそのまま受け入れ、

そのうえで、ちゃんと

第三の道を見ていけたらいいね

 

 

 

そんじゃ。