困ったときこそ自分頼み(平常時と真逆をとる生存戦略)

 

 

世界が恐怖に包まれるとき、

社会が不安に陥るとき、

世の中が混乱するとき、

 

 

 

そんなときに、あえて、

多くの人の真逆の道を考えてみる

 

 

 

 

よくさ「困った時の神頼み」

って言葉があるじゃん?

 

 

 

 

そんでさ、

平和な日常とか、

平常時とか、

なんでもないときって、

 

 

 

神様のことなんて1ミリも考えないじゃん?

つーか、そもそも信じない人は何も考えないないじゃん?

「今、目の前にある日常」があたりまえだし、

生きていること自体が、自分自身の選択と行動の結果のおかげだと

思い込む人もいると思うだろうし、

とにかく、日常に対して、ありがたみなんて薄れてしまうじゃん?

あるいは全然、感じないかもしれない。

 

 

 

 

でも、僕、昔、

本当に心から「神様助けてくれぇ~!」

って思ったことがあるの。

 

 

 

それは飛行機に乗ってたとき。

 

 

 

アメリカから日本に帰る途中の、

太平洋のど真ん中で、

いきなり飛行機が揺れたの

 

 

 

そんで、いつもより尋常じゃないほど、

今まで何度か飛行機に乗った中でも、

1番か!ココイチか!(カレーか!)

つーくらいのすっごい激しい揺れで、

 

 

 

 

ジェットコースターかよ!(さまーず三村風)

ってツッコミ入れたいくらいの

激しいアクロバット飛行で・・・

 

 

 

 

 

「あ、ワタシ、

本日をもって、

しぬんだわ」

 

 

 

 

 

って思うくらい、

マジでビビるほど揺れたときに、

思わず心の中で祈ってしまった

 

 

 

 

「神様助けてくれぇ~」

つって。

 

 

 

 

でね!結局、その後、飛行機は

何事もなく、乱気流を抜け、

無事に通常運転に戻ったんだ

 

 

 

 

 

でもね、ふと思い出したんだ。

 

 

 

 

 

そーいえば、飛行機が揺れている間、

僕の斜め前の席に座ってた外人のオッサンの存在に

ふと気づいたんだけども、そーいえば、

そのオッサンは、乱気流の中も四六時中、

余裕ぶっこいたまま、堂々と映画見とったわw

(温度差に草)

 

 

 

 

それもだいぶ昔の話。

 

 

 

 

ひどい状況のとき、我を忘れる

 

 

 

そんで、やっぱり人って、

恐怖のとき、

不安なとき、

混乱のとき、

我を忘れちゃう★

 

 

 

 

そんで、そーゆーときほど、

なんか「目に見えない世界」とか

「不思議なもの」とか

「何か偉大な存在」とか

 

 

 

そーゆーのにすがりたくなる。

 

 

 

 

そんな中、ワタシ、思ったよ。

 

 

 

 

やっぱり、逆なんだ

 

 

 

 

 

やっぱり、何気ない日常のとき、

普段から、どれくらい当たり前なこととか、

自分以外のあらゆることの恩恵によって、

自分が生かされているかに気づき、

感謝できるかだと思う。

 

 

 

 

退屈な平和のとき、どれだけ自分が、

自分以外の神の存在(がいると仮定し、設定し)

自分をメタ認知できた上で、その視点で、

自分を把握し、どう扱っていけるか、だと思う。

 

 

 

あたりまえの平凡な日々のとき、

どれだけ目に見えない自然のあらゆる現象に

好奇心を持ったり、それに対する純粋さ

見出せるかどうかだと思う。

 

 

 

 

 

だってね、

混乱時・不安時のときって、

真逆なんだもの!

 

 

 

 

 

つまり、

恐怖とか不安って、

何が原因で自分の心の中に

発生するかというと、

 

 

 

 

恐怖や不安を作っている

正体がわからないときに

不安や恐怖は発生するものなのだから

 

 

 

たとえば、それは

コロナという存在について、

まだ科学的に解明されない部分がたくさんあったり、

 

 

 

経済に対して、これから先の

展望が見えづらかったり、

 

 

 

 

自分の仕事や生活がこの先、

どう変化していくか、

分からない状況だったり、

 

 

 

 

そーゆー「正体不明のもの」

に対して、人間は不安や恐怖を抱くの

 

 

 

★ソレに関しては、詳しくは、昔のブログ記事で書いた通り↓

「恐怖を無くす方法」

 

 

 

 

 

だから、真逆だと思ったよ。

 

 

 

 

平常心の時こそ、

自分以外の人や自然や

神的な存在に感謝すること。

「見えない世界」について考えてみたり、

「自然が見せる精緻なまでの神秘的な法則性」

などに対して、関心を寄せること。

そしてそれと自分との関係性を見出していくこと。

 

 

 

 

 

それに対して、

不安や恐怖や混乱のときこそ逆に、

冷静になり、論理思考になり、

「不安の正体」を把握すること。

「正体不明」を解明していくこと。

「正体不明」から少しずつ新しい発見をし、

「知っていること」の量を増やしていくこと。

 

★もっかい言うけども、それこそが、不安・恐怖を確実に消す、

具体的で論理的なプロセスなのだよね↓

「恐怖を無くす方法」

 

 

 

 

不安・恐怖・混乱のときこそ、

自分の状況を知ろうとしたり、

リスクについて考えたり、

これから先の選択肢について考えたり、

自分の使えるリソースを洗い出したり、

生存戦略を立てること。

 

 

 

 

だって、知れば知るほど、

具体的になればなるほど、

まるで反比例するように、

恐怖や不安がちいさくなり、

安心やあたりまえが増してくんだから。

 

 

 

 

だから、まずは、

困ったときこそ自分頼み。

これが最初だと思った。

 

 

 

 

そんで、誤解が無いように言うと、

人に頼っちゃいけないということではないし、

なんか神様的な存在にすがっちゃいけない、

ということでもない。

 

 

 

 

人に頼った方がいいし、

神的なものにすがってもいい

と思う。

 

 

 

 

でもまずは自分を信頼することが

一番最初だと思う。

 

 

 

 

だって、自分が落ち着いていない状態で、

自分以外の何かにすがろうとするとき、

絶対に振りまわされるw

 

 

 

何かを理解していなければ、ただただ恐怖が増すかもしれないし、

情報が増えすぎれば、不安が更に募るかもしれないし、

その他多数と同調しすぎれば、混乱が増すかもしれないし、

自分軸で判断ができなければ、誰かに騙されるかもしれない

 

 

 

 

だから、最初に自分を信頼する。

落ち着くし、論理的に考えるし、

リスクを1つ1つ潰していく。

(自分ルールを見出す)

 

 

 

 

その上で、人に頼ったり、

何かにすがれば、

きっと大丈夫。

 

 

 

 

多くの人がやってしまうことの真逆の中に

いつも正解が眠っている。

と歴史も偉人たちも教えてくれる。

 

 

 

とくに災害や災難などの

非常時のときはそれが顕著に現れる。

 

 

 

 

まずは、落ち着く。

自分を信じる。

冷静に考える。

 

 

 

 

そこから、判断し、行動していく。

 

 

 

 

そんな感じ。

 

 

 

 

そんじゃ