叶う≠幸せ

最近、とても進みはゆっくりなのだけども、

自分の周りの人間関係が

新しくなった。

そんでもって、もちろん、

今まで付き合いのあった人も

そのままいるけれども、

ちょっとでも自分と合わない人は、

どんどんいなくなっていった。

自分は何一つコントロールしてないんだけどね、

なんか自然な流れでそうなってたね

今、思い返してみれば・・・。

そんでもって、たぶん9月から、

新しい人間関係を通して、

更にもっと新しい人間関係が

出来てくる気がする。

なんとなくそんな

気がする。

しかもより、

自分の夢に近い世界の方へ

近づいていってる。

今思い返してみても、

そんな感じする。

願いが

最近、新しい人間関係ができて、

ワタシの作品を一緒に演奏してくれる

そんな仲間のような人が出てきた。

RPGゲームの主人公ワタシに、

パーティーの新しい仲間が加わったみたいな

そんな感じ。

少し昔までは、

たった一人だし、

ぜんぜんわからない世界だし、

訳も分からずとりあえず、

霧の中を彷徨うように、

手あたり次第、やれることを

模索してやっていた。

そんな感じだったけども、

今は、別に何も努力してないし、

コントロールもしてないけども、

なんか少しずつ新しい展開のようなものが

起こっている、そんな気がした

そして、新しい人が増えたことは、

それはそれでありがたいし、

嬉しいことです。

だけれども、

最近、腑に落ちてきたことがあった。

願いが叶うのと幸せは

必ずしもイコールじゃない。

そんでもって、

願いが叶うことより、

今この瞬間を楽しむ方が、

幸せなまま進んでいける。

そんな感じのジェダイの教えは

頭では理解してた(つもり)だったけれども、

なんとなくでも、やっぱり、

心では腑に落ちてなかった。

でも、だんだんそれが、

腑に落ちてきたような気がする。

「ワタシの大好きなことをして、

その世界がどんどん広がって行ったら

嬉しいなぁ、良いなぁ。」

みたいな願いは、

一応はある。

そーゆーことは

とりあえず夢見る。

がしかし、

実際にどうだろうか・・・

今、自分の作品を

一緒に演奏してくれる人が現れて、

それはなんとも嬉しいし、

有難いことだけれども、

今、めっちゃコロナじゃん・・・

数か月前までのワタシは、

ああ、戻りたい、昔に戻りたい。

って嘆いてたけども、

コロナも長引けば、

今更マインドは変わってしまうものです。

もう、ネットの世界でなんとかするしかない。

リアルで活動することに意識を向けるのではなく、

新しいことを受け入れる。

新しいやり方でやっていく。

そうやって、マインドを切り替えて、

昔を求めることを辞め、

未来へ向けて前向きにマインドを

切り替えてきたから、

なんだか今、

リアルで活動することは

ちょっと躊躇いがありする。

なんつーか、

流れに沿ってない

気がする。

海の波が引いているときに、

波よ来い!といって、

自然の流れに逆らって

自然の摂理に逆らって、

無理やり自分の我欲で突き進んでも、

きっと上手くいかない、

そんな気がしたんだよね

コロナの中、

昔みたいなやり方を

貫き通す、ということは、

なんだか、自然の摂理に反している、

神の声を無視している、

なんとなく、そんな気がした。

自然の摂理、時代の潮流に反し、

自分の個人の我欲で

「あれしたい、これしたい」

を行うと、たぶん、

それは上手くいかない、

そんな気がしてしまった。。。

(ただし、楽しい分には、神さまと繋がってる。見た目の形式、現象はただの幻想。本質は、楽しいかどうか。)

そんで、話をもどすと、だからね、

ワタシの夢が広がっていくとしても、

なんとなく、

「う~ん」(今か~い!)

っていう感じがしてしまった・・・

わたしゃ、それより、

ネットの世界へ今は、

意識が向いてるですね

今この瞬間を楽しむ

だから、ワタシ、思った。

願いごと叶う、叶わない

の執着よりも、

今この瞬間を楽しもう、

と。

ワタシが出会った新しい人と、

いかに楽しいを共有できるか。

いかに笑える関係を築き上げていけるか。

こっちのほうが、

「目標を達成する」よりも

ずーっと重要なことなのだなぁ、

と思った次第。

夢、目標、叶う、叶わない、、、

などなどは、確かに素晴らしいことかもしれないけれども、

それは同時に「心今ここにあらず」

の状態と重ね合わせだということ。

それよりも、

今、自分と自分の周りの人と

楽しいことをその瞬間やっていくことの方が、

とっても大切だと思った次第。

だってさ、

「夢中」って言葉があるようにさ、

たぶん、夢の中に入らないと

夢にならないんだ。

それは今この瞬間だけに訪れるんだ。

そして、その今この瞬間を

味わえるかどうか、それが人生にとって

いかに大切かってことがだんだんと

腑に落ちてくる。

「幸せ」はその連続の中に。

「この先どうなるだろうか・・・」

「どうすれば上手くいくだろうか・・・」

「どう発展させていこうか・・・」

これはね、

もうね、

ぶっちゃけ、苦しいね。

おもしろくない・・・

頭では理解してたけども、

なんかようやく、少しずつだけども、

心の中に落ちてきた。

腑に落ちてきた。

だから、

結果はどうあれ、

今この瞬間を楽しもう。

そう思った次第。

そしてワタシや

ワタシの世界観に興味を持ってくれる

そんな人がいるだけで、

感謝なのです。

そして、たぶん、

9月は、更にもっともっと

全然違う、新しい展開が

待っている気がする。

でも、もう、

未来ばかりを見るのは、

ちょっと控えよう。

もっと今を楽しむ。

今を感じる。味わう。

今がありがたい。

今はもう来ない。

期待せず、

執着せず、

落胆せず

過去にとらわれず、

未来を求めず

0ポイントのまま、

世界を出来る限り、

フラットな状態で観察し、

そして今を存分に味わう。

そしてそれに感謝。

後は神さまの導き以外、

ワタシが「自我」を介入させる必要は

もうない。

身をゆだね、お任せする、

ちょっと怖いけれども、

その勇気だけが大切。

もう、自分の思考など

小さすぎて、何一つ、

上手くコントロールできない、

(出来たためしがない)

不器用なワタシが出来ることは、

ワタシの目の前に現れた機会に感謝。

ワタシの周りの人間に感謝。

神さまの導きにゆだね、起こるすべてに

感謝していくしかないのです。

もう、自分でコントロールして

何かを進めていく生き方が、

いかに苦しいか、

いかに自分の心の声(真我)に

相反しているか、

年々、気づきが増してきて、

もう元には戻れない感じです。

昔みたいに「上手くやる」ができなくなってきちゃった・・・・

だって、それはね、

自分でも気づかず無意識のうちに

「絶望している」状態なのだから。

ワタシはどんどん、

不器用になってしまった。

どんどんワガママになってきてしまった。

アレコレ、できなくなってしまった。

自分自身に嘘がつけなくなってきてしまった

自分の自我が生み出す苦しみ、

自分の思考の枠の小ささ、

自然に反することが生み出す副作用、

アレコレ、少しずつ、

思い知らされたです。

神さまの導き以外、

ワタシが出来ることと言ったら、

今この瞬間を味わい、

感謝することぐらいなのです。

それくらいしか、

できんのです。

そんじゃ