ほっとする時間が増えていく

 

 

 

 

最近、少しずつ

「内観」をやることを

習慣づけしています

 

 

 

 

 

めんどくさがり屋なワタシは、

内観することが億劫で、

久しくやっていなかった。

 

 

 

 

でも、やっぱり、

この凄さは計り知れないのです。

 

 

 

言葉ではうまく

伝えることができない。

でも、スゴイ大切なこと。

 

 

 

 

ワタシ、最近、

書きたいという欲がちょっと落ちてる。

 

 

 

書きたいことは、

山のようにあるし、

何も考えずアドリブで

いくらでも書くことができるのは、

ワタシの特技。

 

 

 

 

がしかし、内観を通して気づく。

 

 

 

 

ワタシが書きたいことは、

自我による自動反応によるものが

結構多いのだなぁ、と。

 

 

 

 

「気づき」というやつも、

実際のところほとんどは、

「神さま」からの導きなのか、

それとも「他者」を見て、

それに反応をしているのか、

 

 

 

 

それは誰にも分らない。

「他者」を通して「神さま」

が気づきを与えてくれた、

という解釈をすれば、

それはそれで「何かしらの意味付け」となる。

 

 

 

 

でも、それはどっちでもいい。

どっちが正しいもない。

 

 

 

ただ、ワタシ、

最近、内観をしたい。

心をゼロポイントに戻す癖を

つけるようにしたい。

 

 

 

 

だから

何かを言う、

何かを書く、

何かを表現する、

 

 

 

いづれの場合においても、

それらは「自我による表現」なのか、

それとも「心の深い部分」によるものなのか、

それを今まで以上に深いポイントで見極められるように、

自分を磨いていきたい、そう思った次第。

 

 

 

 

きっと軽い言葉は見透かされ、

言葉を発せず静かなる人は、

きっと心の奥行に、

得体の知れない何かを秘めている。

 

 

 

 

そんな風に思えないと、

更に奥行を探るきっかけは

生れてこないのです。

 

 

 

 

運について

 

 

僕の最近のテーマは、

「アルゴリズムからの脱却」と

「今この瞬間への立ち帰り」

なのです。

 

 

 

それは言い換えると、

「知識」からの脱却であり、

「楽」へ溶け込むことなのであります。

 

 

「知識がいかにワタシの邪魔をしてきたか」

この言葉をサラッと言えるくらいに

自分の中に腑に落ちる感覚を得るまで、

何年もかかりましたです。

 

 

 

ワタシは、

いつも努力するべき方向が、

間違っていた。

ということ。

 

 

 

決して勉強を否定するものではありません。

決して知識を馬鹿にしている訳でもありません。

むしろ、いろいろな場面で重要なものです。

 

 

 

がしかし、同時にそれがいかに

「自分の足枷」になっているか、

そこに気づくまでに、

ワタシは沢山の失敗をシタ

 

 

 

知識という枠があって、

それがワタシの目の前の流れる川の水を

ダムの堤防のように堰き止める。

 

 

 

そうやってワタシは生きてきた。

 

 

 

この世界のあらゆる知識がフラットになり、

そしてそれを使ったあらゆる成果物が

「ブロック化」(モジュール化)し、

しかもそのスピードに加速度が付いている。

 

 

 

これは言い換えると、

理想と現実のギャップが近づくこと。

「変化の速い時代」だとか「願いが叶いやすい世界になる」

という見方はいろいろある中、

 

 

 

そのヒントは、

その小さいバージョン、大きいバージョンである

生物界やコンピュータの世界を見ると

同じ現象(フラクタル構造)を見つけることができるのです。

 

 

 

それらを踏まえ、今起こっていることの解釈の1つに、

この世界の知識・知恵の蓄積(モジュール化、インフラ化、多様化)

が歴史を通して加速度がついている、という風にワタシは捉えるのです。

 

 

 

 

そしてその流れの幅はどんどん広がり、

その水かさはどんどん増し、

そしてその距離はどんどん長くのびていく。

 

 

 

 

ワタシを邪魔しているものは、

ワタシの中のマインドのブロックであり、

それは知識であり、

それは思い込みであり、

それはとらわれ。

 

 

 

ワタシはもっと内観をしたい今日この頃。

ワタシは「恐怖」のために何かを考え、

それを選択し、それを行動に移す、

 

 

 

という一連の無駄を

大本の根っこから断ち切って、

「ワタシが本来やるべきこと」

これだけにフォーカスできるよう、

さらに自分の心の奥に繋がり、

「真我の声」を聴きとりたい。

 

 

 

そう思った次第。

 

 

 

 

そんじゃ