人に寄り添うか自分に寄り添うか・自分らしさを探る

 

 

 

「好きなことして生きる」

ということは、自分自身の気持ちに

正直になること。

 

 

 

自分自身の心の声を

より一層、聞いてあげること。

受け入れてあげること。

 

 

 

自分自身の声とは

自分が心の奥底で思っている

「本当はああしたい、こうしたい」

という本音の部分。

 

 

 

自分の本音を聞き、

それを受け入れることは

寄り一層「自分軸」な生き方を

選択するということ。

 

 

 

 

そうなってくると、

「自分自身がやりたいこと」

が、生きるうえでの一番のテーマとなっていく。

 

 

 

 

それはときに

「自分自身がやりたいこと」

「他人が欲しいこと」

が両立しないという、

ミスマッチも起こってくる。

 

 

 

 

もしただ純粋にビジネスをするならば、

このミスマッチは良くないし、

「他人が欲しいこと」に寄り添っていくことが

とても大切。

 

 

 

だからもし純粋にビジネスするなら、

「他人に寄り添う作品」(あるいは商品・サービス)

を提供したらお金になりやすいし

(もちろん「自分らしさ」の要素も大切だけども)

 

 

 

 

でも、

もしビジネスより、アート寄りな方を

選ぶのであれば、

「自分に寄り添う作品」(あるいは商品・サービス)

に忠実にならざるを得ない。

 

 

 

「そうなろう」っていうのは

なんか違う気がする。

 

 

 

だってそれじゃ、自分の心が

「いまここにあらず」の状態になってしまうから。

 

 

 

「そうなろう」とは思っていなし、

最初から既に「もとよりそうしたい」という思いの方が先行する。

こっちが強い。

これがデフォルト。

 

 

 

だから「そうならざるを得ない」

「そーゆー風に生きざるを得ない」

ということ。

 

 

 

それってつまり、

「自分の好きを追い求めたい」

「自分の好きを表現したい」

「自分に寄り添った作品(商品・サービス)を生み出したい」

 

 

 

っていう側の方が、

「他人の期待にこたえたい」

「需要をくみ取りたい」

「価値提供をしたい」

という側より、

どうしても勝ってしまう。

 

 

 

 

これは単純に好き嫌いの問題。

どっちが優れているとかではない。

 

 

 

 

 

スタバる猫

「私はチャイ派」

 

 

 

自分に寄り添う作品

 

 

 

これこそ、アートっぽいよね。

(もちろん、他人に寄り添うアートもたくさんある)

 

 

 

他人に寄り添う作品が悪いわけじゃないし、

大衆寄りの作品を否定しているわけでもない。

そーゆーのはたくさん売れるし、

流行るし、トレンドになるし。

それはそれでOKだし。

(たとえばね、僕はユニクロ好きだよ。吉野家も好き。

マツキヨも好き。)

 

 

 

尖っていた個性的なものが、やがて大衆路線になると、

ぼやけて、味が薄れて、スタイルが失せて、

誰にもこびず、尖っていた凄いヤツが、

みんなにゴマすりすりする、しょぼいヤツに見えてしまったり、

そーゆーのがステキと感じられなくなる時があるんだよね。

 

 

 

 

でもでも、

大衆路線になると、

安心感や、揺るがない盤石感や、

便利さや手軽さや、日常化(すごく根付くと、

文化や慣習化)という別の良い側面も見えるんだよね。

 

 

 

 

でも、そーゆーのとは逆に、

「自分に寄り添う何かを作る、提供する、アプトプットする」

これはこれで、とても素敵なことだと思うし、

とても貴重な行為だと思う。

 

 

 

だって、これって

かなり愛情がないとできないことだもの。

情熱が無いと続かないこと。

 

 

「よくそんな無駄なこと続けていられるね」

って他人に思われるかもしれないけれども、

やってる本人にとっては、もう大真面目だったりする。

好き過ぎて仕方がない。

(ゲームやってる子どもと一緒)

 

 

 

 

よほど好きじゃないと、

こんなに1つのことを長く、深く、

愛することなんてできない。

 

 

 

 

脳みそがスパークなんだ。

ずっとフロー状態なんだ。

熱中と没頭の渦の中なんだ。

 

 

 

 

そんなことって、

この地球上で、そんなに多くないし、

(だって僕らのほとんどは「日常」が占めているでしょ?)

だからこそ貴重なこと。

 

 

 

 

無駄であり、貴重であり、

無価値であり、価値がある。

 

 

 

 

 

人に寄り添うか自分に寄り添うか

 

 

そんで、結局、

どっちがいいの?

 

 

ってなったとき、

 

 

 

それはきっと

「あなたの好きなように生きればいいのさ」

 

 

 

って答えが、

なんかしっくりくる

好き。

スムーズ。

なんか嫌味成分ゼロ的な。

 

 

 

 

人は自分という一人の中に、

実は何人もの人格というかキャラクターが存在する。

(精神分裂の話とは違うよ)

 

 

 

そんで、実は、

「他人に寄り添う自分」もいるし、

「自分に寄り添う自分」もいる。

 

 

 

よりビジネス寄り(人のために尽くす)な人もいれば、

よりアート寄り(私の好きのため)な人もいるし、

 

 

 

すっごく極端に白黒はっきり分かれる人もいれば、

混ざり合って半々の人もいる。

(ビジネスや政治のためのアートってたくさんある)

 

 

 

 

ハッキリ分かれていても、

相反する側の考えも受け入れていて、

バランスを取って、自分が持っていない部分を

任せらえる人もいる。

 

 

 

 

大切なのは、

自分がどんな人なのかを知ること

 

 

 

そして、

そのうえで、自分はどういう風に生きたいか

を知っていること。

どうなりたいかを自分で持っていること。

 

 

 

 

そんな風に自分自身と自分以外の世界を

俯瞰して見れるとき、

 

 

 

より選択肢が広がっていく。

より視野がクリアになっていく。

行きたい方角が見えてくる。

 

 

 

そんな感覚がするのだ

 

 

 

「自分らしさ」に近づく。

 

 

 

 

そんな風に生きられたら、

とても幸せだと思うんだ。

 

 

 

そんじゃ