ホームレスの男性とビジネスウーマンの両方に声をかけられた話

 

 

最近、真面目なトーンで

「う~ん」って考える感じのブログ記事ばかり

書いていたから、ちょっとそーゆーの辞めて、

また、いつものように

ゆる~い系とか幸せな感じのブログ記事を

書いていこう!

 

 

 

と思った矢先だったが、

 

 

 

 

やっぱり今日も

真面目なブログに戻る!

 

 

 

 

戻らざるを得ない・・・

 

 

 

 

これは、昨日の出来事

 

 

 

道を歩いていたら、日本で初めて、

ホームレスに声を掛けられた!

 

 

 

 

海外(特にアメリカの都市)だと、

ホームレスが声をかけてくることって

よくあるんだけども、

 

 

 

まさか、日本で声をかけてくる

ホームレスがいるのはさすがに驚いた!

(東京のホームレスは道行く人に声などかけない)

 

 

 

今は東京を離れ、

別の地域に引っ越したのだけども、

日本にいて初めて

「声をかけてくるホームレス」

に出会った・・・

 

 

 

 

昨日の夕方くらいの頃、

フツーに駅の近くの道を

歩いていたら、道のサイドから

 

 

 

「すみませ~ん、すみませ~ん」

って小さな声が聞こえた。

 

 

 

「ん?」と思って声のする方を見たら、

道路の脇にいかにもホームレスみたいな

恰好をした男性が座りながら

声をかけていた。

 

 

 

その男性は、髪がぼさぼさ、

左手には火のついたタバコ、

真っ黒に日焼けした顔、

クタクタの洋服で地べたに座っている。

 

 

 

 

「え?なんですか?」

って聞いてみた。

(昔の僕なら絶対にありえない行為w)

(昔は絶対にスルーしてたもん)

 

 

 

「あの~(かくかくしかじか)

これこれこういう理由で、

1000円欲しいんですぅ」

 

 

 

みたいな感じで、

その男性がお金が必要である、

ということを僕に訴えてきた。

 

 

 

どういう理由でお金が必要か

は特に覚えていない。

 

 

 

 

そしてそんなことはどーでもいいと思っていた。

他人のお金の使い道なんて、どうでもいい。

 

 

 

 

*昔なら絶対にありえない。

でも心のことやお金のことを学び始めてからは、

そーゆー理由はどうでもいいや、

ってそのときは思えたのだ

 

 

 

 

 

そしたら、いきなり女性が現れた。

スーツを着た、小奇麗な恰好をした

ベテランなビジネスウーマンのような

そのような印象をもった女性だった。

 

 

 

 

女性が僕に話しかけた。

「どーしたんですか?」

 

 

 

僕は答えた

「この方は1000円を必要としているみたいなんです」

 

 

 

道端に立ったまま、その女性は、

地べたに座った男性を

文字通り上から見下ろし、

その後、小さな声で僕にこうささやいた

 

 

 

女性

「ダメですよ。だって、ほら、

あの人、タバコすってます!」

 

 

 

女性

「きっと、そーゆーものに

お金を使ってしまうから」

 

 

 

 

(だからお金をあげても意味がない)

 

 

 

 

僕には、その女性が、

このような意味を込めて

忠告したように思えた。

 

 

 

 

僕の左側にはホームレスの男性

僕の右側にはビジネスウーマンの女性

 

 

 

 

まるで右と左から

「天使と悪魔の2つが、

全く相いれないことをささやいている」

 

 

 

そのように感じた。

 

 

ーーーーー

 

 

お金はまわる。

誰がどんな風にどのように使おうと、

お金は人から人へ回っていく。

そこに良いも悪いも無い。

ただ、お金が回るのだ。

 

 

 

 

最終的には、一番お金の使い方が上手な人(ジェダイサイド)

いや、あるいは、最も力がある人(ダークサイド)へ

一か所にお金は集まっていく(2つとも同時に存在している)

(そーゆー性質をお金は持っているのだ)

 

 

 

 

僕はその女性の言葉を聞いたとき

とても悲しい気持ちになった。

 

 

 

 

僕は思った。

「ああ、またか・・・」

 

 

 

 

「ああ、競争の原理はどこにでもあるのだ!」

 

 

 

 

*最近の僕は「競争」についてのブログ記事を

たくさん書き始めたね。

でも実はね、昔の記事でも

同じことをずーっと書いている。

 

 

 

 

お金に序列はない。使い方に優劣も無い。

 

 

 

 

でも、人はみんなフィルターを持っている。

自分の色眼鏡で世界を主観的に見る。

 

 

 

 

とくにお金については、

その人その人の強い感情と

結び付いてしまうものだ。

 

 

 

 

あの女性からしたら、

「ホームレスはろくでもないことにお金を使う」

「お金は正しく使われるべき」

 

 

 

みたいな、思い込みがあるように

僕には思えた。

(もちろん、それすらも僕の主観です)

 

 

 

なぜなら、昔は僕自身が、

その女性と同じように考えていたから。

 

 

 

アメリカにいたとき、

よくホームレスにたかられた。

(アメリカのホームレスはとても積極的)

 

 

 

そんで、その頃の僕はこう思っていた。

「どうせ酒とか買うんだろう?」

「どうせ1度あげても、2度、3度とお金をせびられる」

「永遠にホームレスはいなくならない」

「そんな無駄な事ってあるか!」

 

 

 

「だから最初からお金はあげない」

「無駄なことにお金は使わない」

 

 

 

きっと、さきほどの女性も

同じような考えをもっていたのだと思う。

 

 

 

 

価値を生まないものは、社会のお荷物

働かざる者食うべからず

貢献しない人は、この世に存在する意味がない

頑張らない人はダメな人

 

 

 

こんな風に、

この世のあらゆる生物は、

競争の原理(自然の淘汰)から

絶対に逃れることはできないのだろうか

 

 

 

 

そう、思えてしまい、

なんだかたまらなく

悲しい気持ちになった。

 

 

 

 

さて、ここで問題です!

 

Q. 僕はホームレスに1000円を渡したでしょうか?

 

 

 

 

A. 「・・・」

 

 

 

 

それはあなたの想像に

お任せです。

 

 

 

 

話を戻すけれども、

心的な見方をすれば、

「社会が冷たいんじゃなくて、

僕が社会をそういう風に見ているから

そう思えてしまうんだ。」

 

 

 

という回答が、最もらしく聞こえるけれども、

それはそれで正しいかもしれないけど、

実は、それは物事の半分だけの正解なのだ。

 

 

 

それを180度ひっくり返すと、

見えていなかったもう片方が

顔を出してくる。

 

 

 

自分の心と、

自分以外の人々の心(社会)

これらをひとまとめにして考えるのだ。

 

 

 

すると、もう1つ、枠が外れる。

 

 

 

ぜんぶ、繋がっているのだ。

 

 

 

他人のことを思えない社会は、

やがて個人(自分)にそれが帰ってくる。

(その逆もまたしかり)

 

 

 

つまり、自分と他人をイコールで結び付けると、

「1つも欠けてはならない全体としてすべてが機能している」

ということに気が付くのだ(これを「自然」とする見方もある)

(*すべてに意味が出てくるのだ)

 

 

 

「与えるだけ」(give & give)の世界観は

「機能しない」は本当だろうか?

 

 

 

 

 

 

話が大きくなってしまったけども、

な~んか、昨日は変なイベントが発生した一日だった。

 

 

 

 

でもね、

また幸せモードに切り替えて、

ゆるく生きるぞい、と。

 

 

 

このブログに書かれている大切なこと、

というのは人によってぜんぜん違う。

 

 

 

心のことかもしれないし、

好きなことかもしれないし、

人間関係のことかもしれないし、

親子関係のことかもしれないし、

セルフイメージに関することかもしれない。

チョロいことかもしれないし、

ゆるいことかもしれない。

 

 

 

 

でもでも、

もっともっと枠を超えた考え方を

いろいろな人たちがするように

なっていくのだと思うのです。

 

 

 

そーゆーことを考えるのが大切な時代に

入ってくるんだと思うのです。

 

 

 

 

 

もっと、もっともっと

大きな視野を持って、

もっともっともっと

大切なことを書いていきたい、

 

 

 

最近は、そーゆー風に

思えるようになってきたのです。